Sound Tribe Sector 9: Part 1
2002年4月12日
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Photo by ANGIE LEVINE/Daily Bruin
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Sound Tribe Sector 9の結成は1996年。当時ティーンエージャーだったDavid Murphy (bass)とHunter Brown (guitar)が、互いを音楽的に、さらにスピリチュアルに特別なつながりを持つ存在だと認識した時にそれは始まった。1997年、Zach Velmer (drums)が参加し、トリオとしての活動を開始する。
3人はジョージア州アトランタ郊外にある街、アセンズの近所に住む仲間達だった。アセンズはREMのように広く知られるバンドやミュージシャン達との関わりが深い街として知られている。閉鎖的で、今も人種差別が深くそのカルチャーに浸透しているディープサウスのただ中にありながら、特異なクリエイティビティーの光を放つ小さなコミュニティーだ。そんな環境の中、音楽やアートなどの分野では活発な活動が現在もグラスルーツ、ネイバーフッドの要素を多分に秘めながら行われ、成長している。
学校区域が同じだった彼等は、高校卒業後バイトをしながらアパート一室で生活を共にして練習を重ね、近所のバーやクラブなどでライブ演奏を始める。そのころの彼等はジャズやファンク、ソウルなどを取り入れたインストルメンタルの音楽を目指していた。
彼等が住んでいた地域はまたジョージア工科大学の学生達が住む街でもあった。そんな街であるパーティーで、ネイバーフッドのキッズ達とカレッジキッズ達が共に騒ぐ事も多い。1998年、そんなパーティーのひとつでMurphy等のバンドと他のいくつかのバンドが演奏した事があった。Murphy達の前に演奏したバンドの中にずば抜けてセンスのいいキーボード奏者がいるのを見た彼等は、そのキーボード奏者に彼のセットをそのままにして数曲一緒に演奏しようと持ちかけだのだ。それがDavid Phippsだった。Davidは快諾。Hunterによると、Davidは3曲目あたりにステージへ招く事になっていたらしい。彼等がプレイし始め、Hunterがいつものように目を閉じて演奏に耽っていると、いつの間にかキーボードのサウンドが入ってきた。彼等がステージに呼ぶ前にDavidはすでに長年共にした仲間のように演奏していたという。
カルテットとなったSector 9は南東部を中心にしたツアーを活発に行う。そして、デビューアルバム「Interplanetary Escape Vehicle」を録音。テクノ・ジャズ、オーガニック・テクノなどの名前で呼ばれるようになったSector 9の独特のサウンドの芽生えがこのアルバムにはすでに備わっている一方、ロックの要素がまだ残っていたりする模索中の作品だろう。録音は全てスタジオライブで行われた。
曲は全てインストルメンタル。その理由をDavid Phippsはこのように説明している。「歌詞の目的はそもそもあるストーリーを語る事だろう。僕達が目指すのは同じストーリーをユニバーサルな言語である音楽として表現する事だ。音楽は全ての言語やカルチャーに適合するわけだから。あるストーリーのほんの一片を、たとえ話を通じて表現しようとする代わりに、様々な真実を音楽という形式に翻訳して伝えるのはチャレンジングな事だと思う。」
このアルバムがローカルラジオ局のDJ、Jeff Dunhamの耳にとまり、デビューアルバムからの曲を頻繁にオンエアしたため、彼等はたちまちローカルキッズの間でその名を高める事となった。アルバムのセールスもローカルレベルでは好調、小さなクラブでも回を追う毎にオーディエンスが膨らみ、バンドの周りに小さなシーンが構成されるようになる。バンドのスタッフも高校の同級生を起用し、バンドとスタッフの区別なく、アートを目的とした共同体としてのSound Tribe Sector 9の形が生まれた。
彼等が「真実」として今も信じる十三の月のカレンダー、マヤの知恵などを知り、共同体の生活の基準となったのもちょうどこの頃らしい。地球をはじめ、宇宙そのものが知性を持った存在であるという認識、月と地球の周期とそれを越えて広がる宇宙の周期と人間の生活とを同期させようとする思想や、時間そのものがアートであるという彼等の合言葉の根底にある。Time is Moneyではなく、Time is Artなのだ。Sound Tribe Sector 9のサウンドとビジュアルによるアート、愛を広める誠実で勤勉なライフスタイル、ソーラーシステムと宇宙というメカニズムとの調和を目指す旅がこの頃本格的に始まった。
その後も彼等は積極的にツアーを展開し、南部を中心にその名が広まってゆく。その頃、Leftover Salmonに二年参加した後、ノースカロライナ州でローカルバンドの多くと活動していたパーカッショニスト、Jeffree Learnerは新たなバイブレーションを求めていた。1999年、共通の仲間を通じて出会った彼等は即時に意気投合し、Jeffreeは5人目のメンバーとして参加する事になる。「音楽の全体論的なヒーリング要素は、正に医学なんだ。バイブレーションによるヒーリングは人体、ヒーリング自体、そしてバイブレーションなどを体験する事をより深く理解しようとする一つの道なんだ。」そんな思想を深めようとしていたJeffreeに、Sector 9は願ってもない機会を与えたのだ。
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photo by hewhohasgoodhealth
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クインテットとなった年の夏、Sector 9は初めてのウエストコースト遠征を行った。High Sierra Music Festivalのプロモータが彼等をセカンドステージのセットへ招き、フェス会場付近のロッジで行ったプールサイドパーティーでの演奏と共に、カリフォルニアキッズ達の耳に全く新しい風を吹き込んだ。同時に、北カリフォルニアの環境に初めて接する機会を得た彼等は、海と山の大自然に恵まれたカリフォルニアが与える大いなるインスピレーションを抱きながら故郷へと帰還した。
あの環境、音楽を熟知したファン、他のミュージシャン達との出会いは、オレ達には必要なものではないのか?彼等の胸中に初めて故郷を離れ、インスピレーションの源へと移り住むアイディアが生まれた。彼等はそのアイディアをすぐさま実行に移す。この年High Sierraで得たファンからのポジティブな反響が、翌年2000年のリリース「Live」を手土産にしたSector 9を再びカリフォルニアに迎える。High Sierra 2000での彼等はセカンドステージのセットに加え、レイトナイトステージでも2セットをフルに演奏した。このふたつのギグによって、Sector 9はオルタネティブシーンの中心地、北カリフォルニアでの知名度を不動のものにする。レイトナイトショーでの反響はフェスの間にも音楽ファンに知れ渡り、翌日のセットではセカンドステージが小さく見えるほどのオーディエンスを集めた。そのセットが終わった後、観客はただ呆然とたった今目の前で起こった現象の正体を見出そうと立ちつくすだけだったのだ。
High Sierra 2000での衝撃はカリフォルニア全土に瞬時にして知れ渡り、フェスの後のツアーも大成功を納める。前年、プールサイドパーティーで100人にも満たない観衆を驚愕させたあの完璧にオリジナルなサウンドは、この時すでに、よりテクノカラーを前面に押し出した最もクールなサウンドとして、当時まだごく小さかったファングループを圧倒していた。デビューアルバムからこの時点に至る間の彼等の進化には著しいものがあるだけではなく、その後の進化の方向性もまた明確になっている。個々のメンバーのテク、バンド全体のタイトなインタープレイは彼等の年齢に不相応なレベルまで達していた。
13の月のカレンダーで大晦日に相当するグレゴリオ暦7月25日は、Day Out Of Time、つまり「カレンダーから外れた日」として知られ、そのカレンダーによって生活するSector 9のメンバーにとっても重要な日だ。バーニングマンの常連達が中心になってオーガナイズされたサンフランシスコ市内でのイベント「Day Out Of Time Celebration」で、彼等はスピリチュアルな2セットを演奏。サンフランシスコのレイブカルチャーにもその存在を知らしめた。オルタネティブシーンの別のアングルからもファンが生まれ始めたのだ。
夏のツアーを終えてジョージアの故郷に帰った彼等は、カリフォルニア州サンタクルーズとサンフランシスコへの移転を決行する。それまで照明担当の役目だけを勤めていたSaxton Wallerは、以前から趣味でやっていたDJを本格的にアセンズのクラブで始め、秋のツアーではすでにSector 9の前座DJを果たすまでに成長し、ドラムンベースを基調としたムード作りをこなすようになっていた。一方、Sector 9のメンバー自身もさらなる進化を織り込んだ作曲活動に意欲を燃やす。秋のツアーとホリデーシーズンの間に20曲もの新曲を完成させ、リハーサルを同時にこなす多忙な生活を楽しんでいた。
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photo by hewhohasgoodhealth
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2001年2月、Sector 9はそれらの新曲を引っさげ、サンフランシスコ・サイケデリックシーンの本拠地、the Fillmoreで2回のショーを行った。2月2日、金曜日。初日のこの日、彼等は7曲の新曲を一挙に披露するというとてつもない偉業を成し遂げた。バンドシーンで、1回のショーの大半を新曲デビューに費やすバンドをその時までは知らなかった。小さなベニューとシーンで活躍し、これから成長していくバンドにとって、これはある種の賭だ。特に初めてthe Fillmoreで演奏するとなると相当の勇気が必要だろう。ローカルのクラブでのショーと違い、メディアの目にも付く。だが、彼等はそれをいとも簡単にこなしてしまった。しかし、メディアや会場の持つ歴史的な意味を認識する一方で、彼等にはそれ程応えない様子などから、ここにも彼等が持つ別の、魅力的な価値観が感じられる。まるでベストセラーのイメージングソフトのコードを書くエンジニアが、毎日会社の食堂でハンバーガーを食べ、フランス料理などには目もくれないのと同じだ。
翌日のショーでも別の新曲4曲をデビューさせた彼等は春のツアーを開始、新曲をふんだんに交えたセットリストでアメリカ中のテクノファン、バンドファンにさらに広くアピールした。6週間に及ぶツアーはコロラド州の4つの街でのショーで締めくくった。その時すでにツアーの始めに聴いた11曲は進化を始めていたし、それら以前の曲は全く違ったサウンドで観衆を陶酔させていた。が、この時点では前に観たショーとの比較を会話にするファンも少なく、キャパ500人の会場を高率で売り切るに充分な新しいファンを獲得したのはこのツアーだったろう。
Sector 9のジャーニーは一段と加速を増す。春のツアー、夏には全国ツアーを行い、アメリカでも主要とされる各地のフェスティバルでも大成功をおさめた。High Sierra Music Festivalではカール・デンソン、Living Daylightsのジェシカ・ローリー、the Slipのメンバー等と共演、自己のスタイルを崩すことをいっさいせず、しかも飛び入りゲストには全く自由な即興のスペースを与えるというマイルス・デイビスの音楽をより民主的にしたようなフレキシビリティーも見せた。洗練されたハイテイストなサウンド、Sector 9ファミリーが先頭に立って行ったアートクリエイション、サンフランシスコ出身のユニットでソーラーエネルギーを使ってキャンプサイトで即興を続けたThe Free Energy Projectとのコラボレーション、徹底してエゴがないチームワークなども観衆に深い印象を与えた。
その時すでに彼等は2002年へのビジョンを構築しつつあった。High Sierra 2001での成功で、彼等はさらなる多忙が予想される終わるとも知れないツアーよりも、作曲、創作、練習、リハーサル、サイドプロジェクト、プライバシー、自然、瞑想、読書、勉強、ワークショップ、ヒーリングなどが可能な自由時間を選んだ。彼等の思想と実践は、シーンの成長を意識しながらも、自分たちが望む探求を重んじて、他のバンドとは一線を引いたアプローチを重視したのだ。これは競争が激化しつつあるオルタネティブバンドシーンにあってはユニークな発想だ。彼等の現在の集客力でサマーツアーを行った場合、休暇中の人もまばらな学生街でのショーはあまり意味がない。過去2年のHigh Sierraや他のフェスでの成功のお陰で多くのフェスに招待されても、今年はその中から厳選して主要で意味深いフェスに空路で出向くという方法をとるようだ。
2001年の秋もSector 9はアメリカ中を駆けめぐった。11月初頭、9ヶ月ぶりにサンフランシスコに帰ってきた彼等は再び2度の、おそらくその時点までの彼等のキャリアで最高のショーを行った。秋のツアー中に参加したステージアーティストによってステージは草花やキャンドルライトというオーガニックな環境に仕立てられ、ピラミッド型のフレームと大小様々なクリスタルをステージ中央に配置し、照明と共に祭壇のような雰囲気を醸し出していた。そこで演奏された全ての曲の姿は、形成されたばかりのマザーアースのように激しくポジティブに進化し続けていた。かつてデッドとツアーしていた時に存在した、肉体と精神とスピリットとの融合体験としてのコンサート。会場内の全ての要素が音楽を中心として集約された総合的な場での自分。その内部。その周囲。サイケデリック的化学とも呼べそうで理論的には難解極まる量子力学が要約されてビジュアルにエモーショナルに表現されるスペース。サンフランシスコのオーディエンスを今までにない感動で満たし、スピリチュアルなバンドとしての認識を裏付けた瞬間だと言える。
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photo by Steve Beatty (STS9 soundman)
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13の月のカレンダーに基づいて生活する彼等にとって、これまでグレゴリオ暦上のニューイヤーズは全く意味を持たなかった。しかし彼等は2001年12月、コロラド州でのニューイヤーズツアーを4つのショーに渡って行った。理由は簡単なもので、オーディエンスが集まりやすい年末の祝日シーズンだし、何よりも第一楽しそうだから、なのだそうだ。後になって振り返ると、2002年3月、四季のうち秋をテーマとして発表するライブCDのための音源を確保したかったという思惑もあったのかも知れない。筆者も含めた大勢にの音楽ファン達が、驚異的なラインアップの下に集まった年末のサンフランシスコから離れた雪のコロラド山麓で、9(ナイン)だけを聴きたいと集まったファンに囲まれ、観衆同士がクリスタルに宿ったエネルギーを交換しあう中で、その4回のショーは熱狂的に、しかもおごそかに、静かなヒーリングが込められた大音量で演奏された、と言うファンの話が伝わってくる。
「Sector 9、2月末始動」のニュースは8週間に及ぶ再生の季節のツアー日程と共に発表された。サンディエゴで始まったこのツアーでも冬の間に作曲された新曲がすでに4曲紹介されている。意外にもその多くはダウンテンポ、ミドルテンポを基本に置いた静かで美しい曲だった。ショーの始めからアンコールまで、一息もつかせないピークからピークへと進行させるバンドが多い中、セットの中でも意表をつくところで演奏されるこれらのメローチューンは、優しい自然のただ中に置かれた時の安心感と嬉しさ、悲しさが入り交じった懐かしい感情を湧き起こさせてくれる。かつてジェリー・ガルシアが歌ったバラッドのような効果があるのだ。その前後の演奏がファンキーでトランスエフェクト大であるためか、ビギナーの間では、あのエネルギーレベルを維持して突っ走って欲しいという批判も確かにある。ベテランファンの間では味のあるトレンドとして受け入れられているようだが。
あくまでも独創性に富み、様々なインスピレーション、情景、イマジネーションを人々の心に生み、そして共鳴する音楽。それを通してファンのスピリチュアリティーに問いかけるユニークなアプローチ。いわゆるジャムバンドと呼ばれる世界のみならず、現代音楽全般に波紋を投げかけるSound Tribeを体験する事は、人々にクリエイトする勇気とヒーリングを与えてくれる大きな機転となるに違いない。
文 by wolf
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