ショーに行くのは楽しい。素晴らしい音楽があり、楽しい仲間がいて、不思議な光景や場面に出会う。その夢のような一つの現実は、もう一つの現実によって常に脅かされ、ミュージシャンやファンにとってチャレンジングで深刻な状況を生んでいる。このエッセイは、日本のファンには大変申し訳ないのだが社会派エッセイである。アメリカへ頻繁に来られるファンの方々に是非その背景をお知らせしたく、敢えて書くことにした。

 内容はリアルタイムのものであり、現在進行形である。従ってその状況は刻々と変化している。カインド・ミュージックを楽しむ人々はアメリカのメインストリームではなく、アメリカンカルチャーのごく小さな部分に注目しているわけだが、アメリカ国内で旅をするファンの中にはその周辺状況にも興味がおありの方もおられるだろう。そうであれば、このエッセイがアメリカのもつ様々な表情の一つを描写するものとしてお役に立てていただければ幸いだ。

 ご感想、コメント、反論は大いに歓迎。


ジャムシーンと音楽業界
2003年3月5日

 

 イントロ

 アメリカの音楽業界と市場は常に変化を続けている。これらの変化そのものはミュージシャンやレコード会社、さらにファンに直接起因するものではなく、むしろ大手マスコミ企業の巨大化と膨大な収益の追求というエンターテイメント産業のトレンドが原因だ。ジャムミュージックはそのほんの小さな一部分なのだが、メインストリーム音楽産業の急激な変化に伴って様々な影響を受けているのは事実だろう。そして受けている影響は残念ながらポジティブなものとは言えないのが現状だ。ジャムミュージックに関与する多くの人々はこのトレンドに警鐘を鳴らし、ミュージシャン、プロモータ、ファンに至るまで認識を求めている。

 ジャムミュージックファンにとってはこれが一体何の事なのか、どんな関係があるのか、音楽そのものには関わりがないことではないか、と首をかしげてしまう方もおられるだろう。音楽が好きなのであって社会的な問題には興味がないというファンもいるに違いない。しかし、多くのバンドが生まれ育ち、数万人の観衆を集めるに至るまでには、強い自主的な創造活動やグラスルーツの活動が原動力となっているのはご承知の通りだ。これら全てはアーティストとファンにとってのアンプリテンシャス・ミュージック、つまり「見かけを気にしない音楽だけの世界」を求める事で成り立っている。そこへ大きな権力と経済力が加わった時、このアートフォームの真否は疑問とされずにはいられないだろうと考える。もちろん、我々ファンにも様々な影響がある。

 簡単な例を挙げよう。ある「ジャムバンド」がサンフランシスコのフィルモア、あるいはウォーフィールドでのショーをブッキングしたとする。そのショーのチケットはそのバンドのHP上でも買えるが、タワレコなどチケマスのアウトレットやチケマスのウェブサイトからも買える。日本からアメリカでのショーのチケットを予約した経験のあるファンの方にはお馴染みの情報だ。さて実際にチケットを買ってみると「手数料」がやたらに高い事に気づかれた方は居られるだろうか?例えば一枚20ドルのチケットでも実際に払うのは25ドル75セントだったりする。25パーセントから30パーセント上増しになる勘定である。アメリカでも日本でも、大好きなバンドのチケットを買う瞬間はエキサイティングで、そんな細かな事は気にならないのが普通なのだろうが、それを一ヶ月に5回、6回、またはそれ以上続けるとクレジットカードの口座バランスが気になるのも確かだろう。なぜこんな事になっているのか。僕個人の経験では一枚10ドルのチケットを買うのに17ドル50セント払わせられそうになり、馬鹿馬鹿しくなってウェブサイトでの購入を中止し、フィルモアの窓口まで出かけていって直接買った。また、ショアラインなど大きなべニューでのショーでドリンクがやたらに高い事に気がついたファンもいるかも知れない。これらファンに課せられる経費の裏には理由があるのだ。

 もっとも、アメリカ国内の一般的な金銭感覚と日本のそれとはかなりの違いがあるため、いかに僕が鼻息荒く言っても日本のファンにはピンと来ないかも知れない。もしそうだとすれば、この場であらかじめお詫びする。その一方で、頑張って貯金してアメリカへショーを観に来られるファンにとっては、少しでも安い事に越した事はない。もし日本のファンが疑問を持たれるとすれば当然の事だし、それはアメリカ国内のファンにとっても全く同じ疑問なのだ。

 

 メインストリームの現状

 ライブそのものに関してはアーティストが所属するレコード会社は大手や中堅、さらにインディーであってもそれ程影響力はないというのが僕の個人的な理解である。あるとすれば「ライブ音源の録音禁止」程度のものだ。ヒットを狙うミュージシャン達は、振り付けからソロに至るまで毎回全く同じショーしかやらないわけだし、音楽の内容と質もそれ程印象に残るわけでもないため、テーピングをする意味を見いだせないものが大半である。通常、レコード会社に所属するミュージシャン達は、ある一定の期間中に合意に達した数のCD/レコードをリリースするという契約がある。これらのミュージシャンにとってライブはプロモーション、営業の役目を果たしている。他にもプロモーションの方法はある。ラジオ局によるオンエア、テレビ番組のゲスト出演やビデオ、雑誌のインタビューなどである。結果的に一枚のCD/レコードが何枚売れるかで「ヒット」というコンセプトを満足させ、レコード会社が収入を得るというシナリオになっているのがメインストリームの音楽シーンである。この事は音楽に通じた読者なら誰でもご存知だろう。

 さて、このプロモーションと営業の過程上で大きな役割を果たしているのが大手マスコミ企業である。マスコミとは何もテレビ局だけの事ではない。ラジオ企業や広告代理企業などもその業界の大きな一部だ。一例を挙げると、アメリカにはクリア・チャンネル・コミュニケーションズ(以下CC)という大手企業がある。この会社はあらゆるマスメディア上で番組制作と宣伝のプロデュースに関わっている企業で、ラジオを例に取るとアメリカ国内だけでも1,200以上ものラジオ局を所有している。アメリカ国内のラジオ放送はご存知のようにラジオ局そのものの数が非常に多く、音楽ではジャンル専門の局が設定されて好きな音楽を番組ではなく局によって選択できるようになっている。 CCのような企業はあらかじめプレイリストを作り、DJ達はそのプレイリストが命じるままに曲をオンエアし、ヒット商品を作るのに貢献する。地域ごとに名の知れたDJが「このバンドのこのアルバム、なかなかいいよ!聴いてみてね」という親しげな言葉にもCCの戦術が反映されている。もちろんローテーションの回数も曲毎にノルマが指定されている。CCのような企業とレコード会社との間にあるやりとりの詳細は僕には明確ではない。レコード会社は、CCがラジオやビデオをオンエアする事で自社製品のヒットを作ってくれるわけだからセールス面では得をするはずだ。が、厳しい条件下でヒット曲を作る事をアーティスト達に要求するレコード会社自体もCCとのビジネス上多くの問題を抱えている。その理由はCC側の過剰な手数料価格だ。このアーティストまたは曲をオンエアして欲しかったらもっと払え、というわけだ。
 この様な方法でジャンル別のヒットが作られ、ヒットチャートが発表され、ヒット曲に飛びつくファンがCD/レコードを買うという構図が出来上がる。この点は日本でもそれ程違いはないだろう。もちろん、オンエア中のコマーシャル料金もCCの収益となる。アメリカに来られた事があるファンならお気づきだろうが、市バスやタクシーの側面にデカデカとラジオ局の宣伝が張られている。もちろんこれもCCの得意とするところだ。

 CCはそれ以外にもベニュー自体を所有している。例えばサンフランシスコ・サイケデリックシーンの殿堂でもあるフィルモア。以前はBGP、つまりビル・グラハム・プレゼンツというかつてはグレイトフル・デッドを始め60年代から活躍してきたアーティスト達のプロモータであり、シーンの良き理解者でもあったビル・グラハムが設立したプロモータ業者が所有していたベニューだ。90年代後半にFXという中堅プロモータ企業がBGPを買収し、さらにCCがFXを買収したため、現在フィルモアはCCの傘下におさめられている。噂ではBGPそのものはごく最近CCによって解体されたと聞く。悲しいニュースだ。フィルモアなどはベニューとしては歴史的な存在であるが、収容力は1,000人足らずに過ぎない。(そこがフィルモアの好いところでもあるのだが。)CCはアメリカ全国各地で数万人収容可能のアリーナやスタジアムも所有、またはエンタテイメント業界とは全く関係のない大手企業と共有所有しているのである。アリーナやスタジアムと言えばそのレンタル先は音楽関係と言うよりはむしろスポーツであり、その他にもビジネス系のカンファレンスや展示場などにも用途が拡張されている。

 ショーやスポーツイベントにはもちろんチケットを持っているものが入る事が出来るわけだが、そのチケットを販売しているのも実はCCのような大手企業である。チケマスと呼ばれているチケットマスターやBASSなど、コンサートやイベント、スポーツの試合などのチケットを全国的に売っている大手企業は全てCCのような企業の子会社なのだ。

 音楽に限って言えば、ラジオでオンエアされるヒット曲の操作、ヒット中の曲を持っているアーティスト達のプロモーションと宣伝、ビデオ制作などから始まり、ファン層の大きさによってどのベニューでヒット曲をプロモートするためのコンサートを行い、そのツアーの宣伝をし、ツアー全てのチケットを販売し、コンサートにやって来たファンにドライグッズを売り、ショーの間にファンが飲むドリンクを売るという最終段階に至るまで、ほぼ全ての過程をCCのような会社が独占的に取り仕切っているのがメインストリームの音楽業界だ。

 いかにCCに対する不満が高まっているかは、CCの動向を批判的な観点から追い続けるウォッチドッグの役目を果たしているウェブサイトが存在する事からも分かって頂けるだろう。アメリカの大手企業の動きを見つめ、関心を持つ一般人に向けて警鐘を鳴らし続けるウェブサイトは多い。政府が何もしないからこの様な情報がNGOや個人で公開され、牽制しているのだ。CC関連のサイトは以下で見る事が出来る。

http://www.clearchannelsucks.org

http://www.cheap-channel.com

 

 ジャムバンドの位置

 ではこの様な構図の中でいわゆる「ジャムバンド」と呼ばれるアーティスト達はどのようにバンド運営を行い、ライブ活動を続けているのだろうか。

 バンド運営のビジョンや方法論はバンド毎に細かい点で異なるので、定番の公式はもちろん無い。が、一般的にはグレイトフル・デッドがその35年間に渡って試行錯誤を繰り返しながら築いてきたインデペンデントな方法が基本的なモデルとされているようだ。もっとも、世代的な意味では、比較的新しいバンドたちがモデルとしているのはむしろフィッシュであり、チーズであり、パニックであるのだが。もし「ジャムバンド」というジャンルを無理矢理定義しなければならないとすれば、「グレイトフル・デッドやフィッシュをモデルとしたバンドの運営と成長の過程を目指す、インプロビゼーションを基本としたアーティスト達」と言わざるを得ない。「ジャムバンド」は音楽ジャンルの内容によっては定義できないものだからだ。その方法論には自己のオフィスを設立し、スタッフを置いて、ツアーの構成、ベニューとの交渉、チケット販売、ドライグッズのデザイン、プロダクション、そして販売、ウェブサイトの設立、クルーの選択など多岐に渡る内容が含まれている。

 ある「ジャムバンド」が結成され、ホームタウンのバーやクラブで活動を始める。そのバンドは次第にファン層を広げて行く。インターネット上でそのバンドの名前が広がり始めるに従って、バンドの行動範囲も拡張していく。この時点でこのバンドはCCなどの大手企業とは全く縁がなく、従ってベニューも自分たちの決断とベニューオーナーとの交渉を基本としながらショーがブッキングされていく。チケットはそのベニューの窓口の他に、地方の個人経営のレコード屋やバンド自身によって販売される。レコード契約はもちろんなく、オフィシャルリリースを作成する場合はほぼ全て自分たちで行っている。この時期にはサウンドマン、照明クルー、ツアー時の車の運転、ステージマネージャやツアーマネージャ、オフィシャルホームページの制作とメンテなどは仲間やファミリーが手伝う事が多い。

 問題はその後である。あるレベルの成功を収めたバンドは、次第に「growing pain」つまり成長の痛みを感じ始め、それまでは未知だった諸問題をバンド、クルー、ファミリーなどごく内輪で話し合いながらバンドのビジョンと将来のプランを考え、実行し始めるのはちょうどこの時である。それまではただ好きな音楽をやっていれば良かった。問題があったとしても自分達の決断と実行があれば解決でき、ほとんど全ての問題は自らコントロールできる性質のものであったわけだ。しかしここから先は自らコントロール出来ない問題も生まれる。問題というよりは葛藤である。

 ジャムバンドは一般に音楽そのものを至上の目標とする集団である。つまり、ライブ音楽をやって一生、または長期間生活が出来れば良く、音楽そのものが自分達の目標とするレベルへと進化し、出来れば多くのファンを獲得したいという連中なのだ。自然と独立心は強く、他の同じようなライフスタイルを持ち、クリエイティブな面でも共鳴できる他のバンドとのつながりも強くなってくる。ビジネス的には非常に良心的で、一般に「個人経営」の姿勢を崩さない。自分達の音楽に関しては誰にもコントロールされたくないという信念があるからだろうと想像する。音楽産業に対する姿勢も同じで、たった1曲か2曲のヒットを飛ばし、マスコミを一時賑わして、その後は引退するというスタイルとは決定的に異なるアプローチをする。

 しかし、自らの目標に向けて着々と進歩を重ねるバンドは、その成功ゆえにいつしか個人経営のバーやクラブではショーを観に来るファンを全て受け入れられない時を迎える。晴れてあの歴史的なフィルモアのようなベニューでショーが出来るステータスを確立するわけだ。同時に、バンドはCCなどの大手企業が所有するベニューでショーを行わなければならないというジレンマにぶち当たる。若いバンドの成長を見ていると、フィルモアのようなベニューでショーを行う事が嬉しくもあり残念にも思う彼等の表情に出会う事がある。売られるチケット全てがCC所属のチケマスで売られなければならないという制限は無いようで、その一部は自らのチケットオフィスで売る事が出来るらしい。ヒット目当てのアーティスト達は、オフィシャルHPを持っていたとしても、自己のチケットオフィスを設立してほんの一部でも自分達でチケットを売るという事はまれで、ほとんどがCCなどの系列機構に依存した方法を取っている。

 1000人またはそれ以上の収容スペースを持つハコでショーをやるともなると、様々なレコード会社のスタッフも顔を出し始める。例えばあるレコード会社のスタッフがこの若いバンドを気に入って契約話を持ち出したとすれば、そこでこのバンドは大きな決断に迫られる。フィッシュは大手レコードレーベルと契約はしたものの、ライブ音源の録音やチケットの販売など様々な点で彼らのビジョンを歪めないための交渉をしたものと思われる。一方、パニックやチーズは自らのレコードレーベルを設立する選択を取った。要はオフィシャルリリースに関わる様々な仕事を外注するかしないかだけなのだが、一見単純に見えてもバンドの意図そのものが根底にあるため、それぞれのバンド内で議論が交わされたと思う。契約話は「待ってました!」という態度で望むものではなく、「ついに来たか」という岐路の選択を迫られる事件に違いない。

 

 べニューの可能性

 良心的なビジョンを持ったバンドにとって、CCとの関係を絶って自己の道だけを追求するのは不可能に近い。その中で最も大きな問題はべニューの確保だ。大きな観衆を収容できる私有のべニューはほぼ大半がCCの手中に収まっている。残り少ない可能性は公共施設と私有地のみだ。公共施設とは、例えば県立や市立の公会堂だったりするのだが、音楽を構想に入れて建築された場所はほぼ無いと言ってよい。したがってプロのミュージシャンとして満足のいく音響効果はまず期待できず、第一大きな観衆を収容できるようなサイズではない。可能性としては州立または市立の屋外施設、そしてより大きな可能性を持っているのが大学付属施設である。

 カリフォルニア州立大学バークレー校のグリークシアターはその中でも有名なべニューだろう。この素晴らしい野外べニューはデッド、フィッシュ、チーズ、パニックなど数多くのバンドの良きホストとして、またそこで繰り広げられてきた伝説的なショーの舞台としてジャム系ファンには広く知られている。以前はスタンフォード大学構内のフロストシアターもデッドを受け入れるなどして知られていたが、残念ながらファンの行動に対する警戒心から数年コンサートには使われていなかった。昨年5月にそのフロストでPhil & Friendsがショーを行い、これからの可能性が期待される。

 これらの公共施設でジャム系のショーが行われにくい理由はいくつかあるが、その中でもファンによる破壊や事故を懸念する保険会社がふっかける保険料を地方団体が工面できない事と周囲の住民が騒音と「ヒッピー達の襲来」を恐れる貯め、というのが代表的なものと考えられる。

 一方、私有地は所有者の一存で事が決まる。一般に私有地内には警察当局は観段で入ることは出来ない。が、地方団体が持つ同じ理由で敬遠するオーナーがほとんどだ。自分の土地であるだけに山林火事は特に心配であり、朦朧としたファンが例えば登っていた木から落ちたり川や湖で溺れたりした場合、警察当局や消防署、さらに保険会社や市民達と談判しなければならないのは当のオーナーなのだ。それにも関わらず、広い土地をバンドとファンに提供する地主達もいる。オレゴン州ポートランドから車で西へ1時間走ったところにある森はホーニング一家が所有する土地で、ここ数年チーズ、サーモン、ヨンダーなどのバンドやポートランド市が企画するイベントが開かれている事は多くのファンが知るところだ。1999年までハイシエラ・ミュージック・フェスティバルが開催されていたベアーバレーも個人所有の土地だった。やはり山火事の心配による保険金が膨大なものとなり、地主の手に負えなくなったため、やむなく他の場所を探す事になってしまったのだが。

 どの町からも離れ、周りに大きな火事となる森や林がなく、誰かが溺れそうな海、湖、川や池がなく、大勢のファンが押し寄せても周囲の住民から苦情が出ないような場所は砂漠か野原しかない。昨年初めて行われたジャムバンドの祭典、ボナルーフェスティバルが行われたのがテネシー州のど田舎の野原であることは十分納得がいく。

 どちらにせよ、少ない可能性はあるものの、レイブと同じようにジャム系のイベントもその行き場所がなくなってきていることは確かだ。その背景にはCCのような企業が制限の根拠となっている事実がある。

 

 ファンの位置

 「ジャムバンド」にとって彼等の音楽やビジョンと同様に大切なのはファンである。毎回異なった演奏をするからこそ、ファン達は連日ショーへやってくる。ファンはバンドそれぞれの周囲にそのシーンを作り上げていく。推薦の言葉や音源が広がり、進んでプロモーションと営業の役目を果たしてくれる。よき理解者でもあり、同時に最も的を得た意見が聞ける批判者でもある。バンド自体の性質やトレンド、ビジョンを反映したキャラクター達が自然につながりを持ち、カラフルなカルチャーを築いていく。バンドが進化していく上での燃料ともなり、それがなければ「ジャムバンド」は活動を続ける事は出来ない。

 「ジャムバンド」特有の独立心は、時に独占的企業の戦略と時には対立する立場を取らざるを得ない状況を生む。その理由は、その起源が60年代のサイケデリックシーンの確立であり、それは当時の社会的な状況を反映したものだからだ、というのが最も簡単だろうか。したがって、一概にステレオタイプは出来ないものの、ジャムファンは政治的、社会的には基本的に反体制の立場をとる傾向がある、と僕は思っている。このトレンドはバンドの運営や経営に関する方針とも同調し、世界観においてもシェアするところが大きい。即興がコアにある音楽のファン達は鋭い聴覚と我の強い意見を持ち、音楽一般に関する知識に富み、高いレベルのアウトプットをバンドに要求する。それのみならず、バンドの運営そのものにまで首を突っ込み、運営のやり方が気に食わなければ「売れ線バンド」とレッテルを貼って敬遠さえする。とんでもない連中である。が、愛すべきシーンの主役達でもある。

 バンドはそれぞれ自己のビジョンを実現しながらも、音楽でこのようなうるさいファン達を満足させつつ、さらに挑戦しなければならないという使命を負っている。音楽だけでファンのサポートを保持し、シーンも持続させるのは至難の業だ。が、ファンは音楽そのものに対して反応するだけではなく、運営の仕方にも同じようなバイブレーションを求めているようだ。運営手法がメジャー化すると、ファン層自体の内容と質が入れ替わるような例も実際にある。読者の中には「今までのファンとはちょっと違う」という印象をショーで感じられた経験をお持ちの方も居られるかも知れない。それはただ新しいファンが加わったという意味でなく、以前のファンはそこに居らず、違ったファンがショーにいるという現象だ。「ソールドアウト」という言葉は、ジャムバンドとファンが最も恐れる言葉かも知れない。好きだったバンドの運営方針が変わり、ファンに媚びるような言動が見られたり、「売れ線」路線を歩みだしたと思われる時に卑称として用いる言葉である。重要なのはあくまでも音楽そのもののはずなのだが、音楽以外の要素でもファンは好きなバンドに対して大衆に媚びず、自己のクリエイティブな道を歩む事を望む傾向がある。その点、一般メディアに出演したり、大手レコードレーベルと契約し、試行錯誤を超えて、なおも多くのファンを魅了して離さないデッドやフィッシュは、彼らの音楽同様、運営面でも驚くべきバンドだと言えるだろう。

 若いファンにしてみれば、活動開始以来友達のように付き合ってきたバンドが成長し、演奏するハコも次第に大きくなり、チケットやドリンクも以前に比べてかなり高くなって、多くの見知らぬ新しい人々がシーンに加わっていく過程を複雑な気持ちで見ることになる。前述のようにバンドが慣れない問題をひとつひとつ解決しようと働きかけながら活動を続ける間、ファン達は一人一人自分とそのバンドの関係を見つめながら音楽シーンを追いかける。最終的には音楽がファンの居場所を決める事になると思う。だが、音楽以外の要素、特にバンドの運営方針はジャムファンにとっては注目すべき要素である事は否定できない。

 アメリカのファンはショーの楽しみ方を知り、バンドやその音楽に関しても深い理解を持つ人達ではあるが、観衆としての群れが大きくなるに従って問題の原因ともなる側面もある。デッドやフィッシュのショーの周辺で暴動が起こった事もある。サイケデリックミュージックを愛する人達らしく、それ相当の問題も頻繁に起こる。公共施設などでバンドが比較的容易に会場を確保出来るようにするためには、ファン側の態度と言動も一般市民から評価を受けるのも当然であろう。他の音楽ではどうあれ、チケットを買った客だというだけでは何をやっても良いという事にはならない。今年確保できたベニューもファンが与える印象によっては二度と確保できない事になる。いい子チャンめいた発言なのかも知れないが、ベニューの確保が深刻な問題に発展しつつある今、ファンもジャムムーブメントの担い手としてある程度の責任感は持つべきだろう。

 

 オーガナイザとプロモータの位置

 ジャムシーンにとって重要な役目を果たしているのが、ショー、イベントならびにフェスを運営するオーガナイザとプロモータ達だ。詳細は知らないが、アメリカでは都市や地域ごとにプロモータの縄張りが決まっているらしい。これはCCなど大手企業系列のプロモータから街の小さなグループまで一般に理解されているルールのようなものだ。サンフランシスコ・ベイエリアでは大手系のプロモータのほかに、それぞれの特色を生かしたローカル色豊かなプロモータ達が活躍している。北カリフォルニアの夏の風物詩でもある多くのフェスはこれらのオーガナイザやプロモータが主催しており、四季を通じて行われるサンフランシスコ市内での多くのショーも彼らの手によるものだ。

 これらローカルベースのプロモータ達は、大手独占企業の操作に依存する事なく、ハイクオリティーの音楽を提供するシーンをグラスルーツ活動をベースに作り上げていて、彼等自身も「反大手プロモータ」をセールスポイントに掲げている。基本的には、大手と草の根ベースのプロモータ達がローカルシーンに混在している事はいい事なのだ。サービスの向上点はお互いから学べるわけだし、第一より広い範囲のミュージシャンが演奏できる機会を与えられる事になる。ローカルのシーンではまだ知られていないバンドが紹介されフィーチャーされる事も多い。それに感化されて若いバンドが多く活動を始め、またコロラド、ワシントン、オレゴンなど比較的近い地域で知られるバンドも草の根ベースのプロモータによってローカルシーンに紹介され、ギグの機会が持てる。

 残念ながら、地域ベースのプロモータには大手系プロモータにとっては通常それ程問題にならないような、しかし重要な欠点がいくつかある。ひとつは地域ベースのプロモータはべニューを所有していない事。前述のようにサンフランシスコの音楽シーンでカギとなるべニュー、つまりフィルモアやウォーフィールドの様なハコはその多くがCCが所有するものであるため使う事は出来ない。となるとべニューとして使える他の場所を探さなければならなくなる。

 また、小さなオーガナイザグループにとっては資金面でも何かと苦労が多い。場合によってはそれ程大きなイベントでなくても、オーガナイザやプロモータにとっては大きな勝負どころになっている可能性がある。特に昨今のアメリカ国内の経済低迷で資金は容易に工面できず、しかもファンは本当に行きたいショーを選んでいる状況だ。資金源として協賛者を募る事は可能だが、大手企業を協賛社として加えるとなると、ファンからの批判もあり、プロモータ自身草の根活動をその活力源としている以上無理がある。実際に資金を無名で提供しているのは、その地域の理解ある裕福な年輩音楽ファンやトラストキッズと呼ばれる事もある上流階級出身の若者だったりするのだろう。

 このような環境でローカルプロモータ達は様々な工夫を凝らしている。気にも掛けられないような建物だが、べニューとして機能しそうなハコ、ビルの発掘もそのひとつ。この2年間で多くのべニューがジャムバンドをブッキングし始めたのは、ただ多くの若いバンドがライブの場を求めただけでなく、その背景にはプロモータの働きかけが少なからずあったのだろうと思う。それまではただのバーで週末だけブルース系のローカルバンドが出演していたようなところにも、この地方や他の州からのジャム系アーティストがライブを行うようになった。サンフランシスコ・ファンク・フェスティバルなるイベントが開催されるようになったのも、彼らの努力の結果だろう。他の街や州の小さなオーガナイザグループとバンドのツアーやイベントごとに提携してつながりを広げるような方法も取っている。アメリカ国内でも不動産物件の値段が一、二を争うほど高いサンフランシスコベイエリア一帯では、賃貸物件のコストも馬鹿に出来ず、しかも保険料が高いため、ビルを所有して千人の観客を収容できるハコを作るにはかなり大きな資源が必要となる。グレートアメリカン・ミュージックホールは5百人ほどを収容する素晴らしいベニューだが、最近どこかのクラブオーナーが買収したと聞く。オーナーが替わってもブッキングされるショーの内容にそれ程変化が見られないのは、そのオーナーがおそらくサンフランシスコの音楽シーンに通じた人物であると想像できる。

 コスト削減のためにサウンドや金銭周り以外の仕事には地域のファンをボランティアとして起用したりもする。ファンはバンドメンバーと直接接したり、ただ券を貰って楽しみながら仕事をする。情報に精通した人達が多いため、新しいホットなバンドやユニットに関する情報も当たり前のように交換される。

 個人的な意見だが、僕はこれらローカルプロモータ達を心から支援したいという意図はあるものの、どうしても満足できない点がある。べニューと資金が不足している状況では無理がないのは認めるが、音楽を楽しむ環境を作る点で、大幅な向上が望まれる。つまり、あるべニューでそこそこ知られたバンドのショーをプロモートする際、彼らはどうしても客を入れ過ぎる傾向がある。このイベントを成功させて次のイベントの資金にするという点も、少ない選択肢から選んだハコだという点も理解した上で言いたいのは、音楽を楽しむ環境にはある程度の余分なスペースが必要だという事だ。「ファンク」を売り物にするバンドのショーで体を動かす事さえ困難な環境でどうやってファンク出来るのか。身動きできない程詰まったハコの中では、いくらSICKなDJがスピンしていても踊れなければ何もならない。

 2月16日、シカゴの黒人街のクラブで混乱があり、脱出しようと動き出した客が暴走して将棋倒しになった客のうち21人が死んだ。他にも呼吸困難やケガのために病院に担ぎ込まれた者多数。混乱の発端は誰かがいたずらで「テロリストだ!」と叫んだ事らしいのだが、問題は外へのドアが一箇所しかなく、しかもクラブ内は身動きできないまで過剰に客を入れていたことだという。その数日後、コネチカット州のクラブでかつてはメジャーだったポップメタルバンド、グレートホワイトの演奏開始直後にステージ上で使っていたパイロテクニクス(花火マシン)の火がステージの幕や防音用に使われていた素材に点火、バンドのギタリストを含めた97人が死亡した。現在、クラブのオーナーとバンドの間で手落ちはどちらにあったかで論争している。皮肉にもシカゴでの惨事をフォローすべく、ローカルテレビ局がカメラマンを配置していたらしく、発火時と避難の様子はビデオに収められている。それを見ると観衆はかなりゆっくりと出口に向かって動いているのだが、結果的にはそこにいた観衆の約3分の1近くが死んだ事になる。もちろん、このクラブでも定員300人のハコに400人近い客を押し込んでいた。

 頭の固い中年のオヤジと思われるかもしれないが、サンフランシスコ市内のクラブで行われているショーにはこの様な自体に発展しかねないようなバーやクラブはザラである。そして、それはほとんどローカルプロモータ主催のショーである。詳細不明の部分、グレーエリアは多少あるとしても、大手系の主催によるイベントはその点むしろ安心できる点が皮肉だ。大手企業は基本的にその街の消防法を守る点ではむしろ頼りがいがある。大手企業だからこそ、だ。何か問題があった際に、企業がこうむる損害は大きい事が予想され、街の消防庁によってべニュー経営を停止される可能性もある。ブランド名としての信用にも関わる。要は体裁を取り繕っているわけだが消防法を守るという点では、頻繁にショーへ行くファンとしては比較的安心できるわけだ。定員数は通常余裕を持って定められているらしく、定員数でソールドアウトのショーがあるとすれば、動くスペースはあると思う。踊れるサウンドでも、聴き込むサウンドであっても、ラッシュ時の満員電車のような環境ではライブ音楽は楽しめない。カルチャー的な感覚の違いとして、日本のように人と人との間のスペースが狭い場所でのスペース感覚とアメリカのそれとが違うからなのか、それとも僕がただ歳を食っただけなのかは分からないのだが。

 

 解決への動き

 現在、音楽業界におけるCCの独裁体制に対する解決法は残念ながら無い。共和党が優勢でしかもブッシュ政権のような立法および行政体勢はいわゆる中小企業や個人経営のビジネスには至って不利な状況といえる。(民主党とて大して変わらないのだが。)他の大手企業がいかにCCへの不満を募らせ、少数の代議士が彼らの不満を反映させようとしても、CCのもつ影響力は大きい。

 その反面、前にも言ったように大手レコード会社の間でCCに対する反発が見られるようになってきた。意外な所でからではあるが、現状を考えればレコード業界からの「協力」は必要になると思う。また、CC自体が不安定な状況でもある。マスコミやエンタテイメント業界での権力を持つように至ってから、肥大したビジネスは経営困難に見舞われ、いくつかの部門を削減しなければならないような状況であるらしい。

 しかし僕はやはりCCはどうあろうともジャムカルチャーが自主的に独立したクリエイティブな方法でケース・バイ・ケースで前進する事が最も有効的な解決方法なのではないかと考えている。アーティスト、ファン、プロモータがそれぞれの認識をもってシーンに貢献すれば、いい環境が出来るだろうと思うのだが、ただの楽観であろうか。この場合、「認識をもって」というところがカギなのだ。

 我々消費者が物品を買う際、どれを買うかには様々な理由がある。当たり前の事だ。品質、デザイン、ブランド名、サービスの良さ、自分の好み、ホビー、値段などなど、個人それぞれの理由で消費している。これに「認識」を加えればCCのような企業には何らかの影響があると思いたい。本題ではないが、認識ある消費とはどのような事なのか、ここで私見を述べる。

 つまり消費する事によって派生する効果がどのようなものかを知った上で消費するということなのだと考えている。ヘンプが様々な、しかも健康的な方法で素材として用いられて、それが広まれば環境、経済、貿易などにポジティブな影響を与える事にはならないか。それもオーガニック・ヘンプが望ましい。オーガニックという言葉が出たついでにオーガニック栽培と飼育による食料を支援する事も大きな影響を与えるだろう。東南アジアなどで強制労働させられている児童達の手によって作られ、べらぼうな値段で売られている有名ブランドのスニーカーをボイコットしたり、今では広く知られている降雨雨林の破壊から始まり最終的には街角のファーストフードレストランに出てくる牛肉を食べなかったり、自分が住む町で長年細々と営まれてきた商店で品物を買ったり。これらは全て自主的で能動的な行動を伴う消費である。実際にそれをやろうとすると非常に困難なライフスタイルで、僕自身困惑する事が多い。が、出所と過程が明らかな商品やサービスは、それをサポートすると新鮮な満足感がある。最近、カタカナになった「リニューアブル」とか「サステナブル」という言葉をよく見かけるようになった。これらがどうのような事なのか、どうすれば実現できるのかを考えるのもいいが、認識ある消費を促進すれば、これらは自然に実行できることなのではないか。

 CCに対してもアメリカのファンの一部は彼らのサービスを拒否またはなるべく彼らの収益に貢献しないような方法を踏まえてショーに出かけている。チケットを買う時はウェブ上で購入するときの不必要な手数料を払わぬように直接フィルモアなどの窓口でチケットを買う。CCが関与する法案に賛成する代議士には投票しない。CCの動向に関する情報を交換しながら認識を高める。CCに対抗するグラスルーツで地方色の濃いプロモータによるイベントをサポートし、同時にプロモータ達とのコミュニケーションを密にして彼らのイベントの内容と質を高める。などなど、ファンとして出来る事は多い。一心に自分達が愛する音楽と仲間がいつまでも存在できるようにと願うからだ。

 Think Globaly, Act Locallyという言葉がある。世界的な、大きな観点で物事を考え、その考えに沿ってごく身の回りにある日常的な事を実行しようという意味である。無理にでかい事をする必要は無い。ただ、自分が出来る範囲で考えながら出来るだけの事をしよう、そうすればいい社会が出来るよ、というシンプルで親しみを感じ、ポジティブな気持ちにさせてくれるので、僕は好きだ。それは同時にグラスルーツの根源でもあるだろう。困難な道だが、常に学ぶ事があって僕のような中年代の人間にはいい薬だと感じている。

 

 最新情報

 と、このような社会派のエッセイを日本のファンへ発信しても読んでもらえるだろうか、理解してもらえるだろうかと疑心半疑ながら綴っていたところへ、その内容とマッチするニュースが入ってきた。

 ジャム系のバンドのオフィシャルCDを販売するHomegrown Music Networkのメンバーがボストンのグローブ紙に載ったCCに関する記事を読んでファン達に警告を発している。


「コンサートのライブCDがインスタントに?」
By Steve Morse, グローブ紙スタッフ記者
2003年2月7日

 昨今の音楽業界は様々な実験が行われるなどで活力を感じさせられる。ボストンはその中で最も素晴らしいもののひとつのテスト市場になるようだ。全国で最大規模のコンサートプロモータであるClear Channel Concerts(クリア・チャンネル・コンサーツ)は、その手によるコンサートのライブ録音をCDに焼き、ショーの終了5分後にはインスタントに販売するという野心的なプランを持っている。社の内部情報によれば、Clear Channelはその新企画の最初のターゲットをボストンに定めているという。

 多数のCDバーナが会場に持ち込まれ、コンサートの後にファンが買うT−シャツやその他の商品と同じように15ドル前後でライブCDが販売される予定。需要がどれほどのものかはまだ定かではないが、数ヶ月以内にはクラブでのショーを皮切りにこのプロジェクトが開始され、製作工程が安定したところで来年には大きなべニューでも実行したい考えだ。

 Clear Channelのスポークスマン、パム・ファロン氏はこのCD製作と販売については明言していない。「今私に言えることは、我が社は複数のイニシアチブをこの数ヶ月に立ち上げようと懸命だということだけだ」と彼女は言う。Clear Channel副社長でケンブリッジのオフィスに所属するスティーブ・サイモン氏は、プラチナ・ディスクを数多くヒットさせたロックバンド、ボストンの元マネージャであり、彼がこのプロジェクトを率いているという。


 これに対しHomegrown Music Networkのスタッフは、我々が愛してやまない「カインド・ミュージック」がCCの戦術によって根底から覆される危機だと警告していた。昨年Homegrown Music Networkも自己のテントを設置して参加したMerlefestで、彼は実際にCCの社員に様々な質問を受けていたという。

 もしCCが彼らの戦術を実行すればどうなるか。真っ先に考えられるのはバンドの許可を得てファン達が情熱を持って音源を記録し、それをファンに無料でシェアするというデッド以来ファンを結び付けバンドの知名度を高める手段でもあったジャムシーン独特の音源シェアという構造が違法行為としてみなされる可能性があるということだ。CCの活動のひとつにべニューの所有と経営があるのを思い出していただきたい。CC自体が音源収録に関わり、それを有料で販売するということは、一般ファンによる音源録音機器の持ち込みは禁止、または最低限でも制限される可能性が高い。また、販売された音源は当然アーティストおよびCCの著作権の下で今までのような自由なシェアは著作権の侵害とみなされ、非合法となる可能性もある。

 これに反対するアーティストはCC所有のべニューでライブを行う事が困難になるだろう。特にデッド、フィッシュ、チーズ、パニックといった大きなべニューを必要とするバンド、さらに中堅以上のクラブでショーを行っているSTS9、ヨンダー、サーモン、キモックなどのバンドにも少なからず影響が及ぶと考えてよい。実際にどのように展開していくかは誰も予期できないが、雨リアのファンの間では注目すべきニュースだ。

文 by wolf

無断での転載を禁じます。

copyright Onelove.com, 2003