First Show
2002年10月4日

イントロ
 ヘッズにとって、first showは特別な意味を持つ。そこで一体何が起きたのかについては、大方よく覚えているか、様々な理由で全く覚えていないのどちらかなのだが、ヘッズ達のその後を考えた上で振り返ると、それが我々の人生の一大転機である事は間違いない。セックスの初体験が人生に二回あるようなものなのだ。
 first showにまつわるファンそれぞれの逸話は、ショーやパーティーでの会話やメーリングリストでのやりとりでは自己紹介の一部ともなり、新しく出会った仲間と知り合う機会でのいい話題になる。最初のサイケデリックなライブコンサートであり、その後の限りない出会いの始まり、世界観、人生観、ライフスタイルの変化、人々のつながり、ライクマインデッドな人々と現時点のミュージックシーンに置かれた自分。このトピックを共有する人々が形成するスペースには予期しなかったさらなる出会いが生まれ、クリエイティブな活動が派生する。それ自体サイケデリックだ。
 10年程前までは「first show」とはGrateful Deadを初めて体験した事と限定されていた。シーンの進化のお陰で、その狭い語彙が一挙に解放され、どのバンドでもどんなイベントでも誰かにとってのfirst showに成り得る。
 僕にとってのfirst showがGrateful Deadとの出会いである事は変わらない。それはワームホールへの入り口だった。
その後の僕は今ここにいる。

ヘッズのレコード屋
 僕はテネシー州にある田舎大学の貧乏学生でありながら、バイト先のレコード屋での割引を利用してレコードを買いあさる普通の音楽ファンだった。卒業後、就職してからもそれと大して変わりない生活をしていた。違うのはまともな給料をもらうようになって買うレコードの数が増えただけだ。就職先の街に近かったオハイオ州立大学は、本キャンパス内の学生数がアメリカの大学の中で最も多く、カルチャーもテネシーの田舎大学とは大きな差がある。クラブや劇場でのコンサートも多い。(第一テネシーの山の中に劇場などなかった。)
 そのうち、新たなオーディオ技術、コンパクト・ディスクが登場、アナログには特別固執しなかった僕はいつしかレコードの代わりにCDだけを買うようになり、当然レコードを売ってCDに買い換える事もやった。学生街らしく、中古レコードを売れる店は多かったが、その中でも特にこだわり度が高い店が一軒あって、この街に来て間もなく僕のフェイバリットになった。アメリカ中西部でこだわる中古レコード屋というものがどんなものか、興味のある方は2000年発表のシカゴを舞台にした映画『High Fidelity』をご覧あれ。アナログ専門店のオーナーである主人公をはじめ、登場人物の言動まであの頃の僕にそっくりなところはちょっと怖い程で、笑えるようになったのは三回以上観てからだ。
 その頃聴いていたのは、ギターものが中心でStevie Ray Vaughan、Dire Straits、Dixy Dreggs、Pink FloydのDavid Gilmore、Rush、Pat Methenyなど。レゲエも聴いた。ポスト・パンクのインダストリアルも聴いた。もちろんMiles Davis、John Coltraneは常にプレイリストに加わっていた。テネシーでは高校時代から聴いていたジャズのレコードが手に入らなかったため、いつの間にかOzzyなんかを聴くようになってしまっていた。
 これらのアーティストの決定的な短所は過去のバンドはもちろん、現役のライブの数が少ない事で、たまにしかリリースされない新アルバム、それをプロモートするツアーの繰り返しに退屈していた。一年か二年に一度、好きなアーティストがツアーするかしないかのペースでは満足できなくなっていたのだ。ライブではなくCD一枚売っていくら、ラジオで一曲一回流れてなんぼのメインストリーム商法の限界だろう。
 その店の店員はこちらが尋ねもしないのに笑顔であれがいい、これを入荷したと言ってくる。ある日、お勧めCDは?と尋ねると、今日はない、でもDeadのいいテープならある、とこちらの顔を見もしないで言う。
 Deadは未知の世界だった。ショッピングモール内のレコード屋でバイトをしていた時に誰も買おうともしないDeadのアルバムのカバーに見入った事はある。Jerry Garciaの名前も知ってはいた。
 テープ?どういう意味だ?僕は尋ねた。
 Deadのショーでは誰でも録音していいんだ。それを仲間達にシェアするのさ。オレもたくさん持っているよ。
 借りてもいいのか?
 うん、気に入ったら言ってくれ。ダビングしてやるから。ただし、ブランクテープはこの店で買ってくれよな。
 OK・・・Thanks, man・・・
 2本のMaxellテープが僕の手の中にあった。テープのカバーはなんだかごちゃごちゃと様々な色のサインペンで装飾が加えられていて、ハイになったついでに落書きをしたような、マニアックな印象があった。『Grateful Dead、4/13/85、Irvine Meadows』。胡散臭い事この上ない。
 僕の新たなトリップはその時すでに不明瞭極まりない形で始まっていた。

I want more tapes!
 翌日、借りたテープの内容をまだよく理解していないまま、その店へ戻る。確かに面白いとは思うのだが不明瞭な部分が多すぎる。あれは一体何なのだ。ライブ録音だからスタジオプロダクションのように全てがパーフェクトでない事は理解できる。問題はそこにはなく、全体の流れに僕の疑問は集中していた。
 そうだろうな、Deadはショーを体験しないと分からないだろう。夏になったらツアーをやるだろうから、その時に行けばいい。
 ツアー?新しいアルバムを出したのか?あるいは出す予定?
 店員はそこでニヤリと笑って、
 Deadのアルバムなんか、どうでもいいんだ。義理で買うようなもんだ。基本的にライブバンドだからな。
 さらに、
 Deadは1年に90回以上ショーをやる。アメリカ中を回るんだ。一番凄いのはホームグラウンドのカリフォルニアだぜ。オレの友達にもサンフランシスコに住んでいるやつが多い。Deadショーを観るために引っ越したんだ。
 この時僕はこのバンドが明らかに異様な連中である事に気づいた。このバンドを観るためにわざわざカリフォルニアへ移り住むファンがいるのだ。この時胡散臭さは頂点に達していた。
 グリークでショーがあったらこの店を辞めてでも行かなきゃ、な?
 相棒の店員も頷いている。
 このテープだけど・・・
 それはオレの持っているベストテープじゃないよ。明日また来い。ブランクテープはその時に払ってくれ。
 店員達にはどことなく素直に信頼できるような雰囲気があって、返しに来たテープを持ったまま店を出た。まっすぐアパートに戻って気になっていたセットIIの最初の曲をもう一度聴いてみた。「Terrapin Station」。
 翌日、その店で僕は12本のマクセルゴールドを買い、それをそのまま店員に預けたのだ。

インターネット
 1987年、9600baudのモデムは1,500ドルだった。当時僕が働いていた州関連のノンプロフィット団体として登録されているこの図書館情報データベースの会社では、その頃から社員によるインターネットアクセスが可能だった。Deadを愛する人々は、その時すでにネット上でバーチャルコミュニティーを形成していた。オハイオ州立大学の大学院に在籍するヘッズに教えられたコマンドを入力すると、そこではカリフォルニアヘッズ達を中心に、アメリカ全国に散らばるファン達が自由にコミュニケートしていた。
 意を決して「ビギナー、音源求む」のメッセージを投稿した。南カリフォルニアからシアトルへ引っ越しが決まったという一人のヘッズが、自分が録音したカリフォルニアでのショーならいくらでもコピーしてやる、と言ってきた。その他にも2、3件の返事。ジョン・ギルバートから彼自身が録ったテープのコピーが届いたのは数週間後。ネットで知り合っただけの彼等に僕は何故か全く疑いも持たなかった。あのレコード屋の店員達と同じで、別世界の人間達のようでありながらどこかしらなんの理由もなく信頼できるような印象があるのだ。
 ジョン・ギルバートは1985年から86年のショーをいくつかダビングして送ってくれた。マスターテープからダビングしたらしく、カセットテープ特有のヒスも気にならず、第一テープそのものの音が素晴らしく良かった。同封された手紙には、これから妻とシアトルへ引っ越すため時間がないが落ち着いたらいつでもダビングしてやる、ネットでの僕からのメッセージを待っていろ、と書かれてあり、これも自分でデザインしたらしいテープカバーもプリントして添えてあった。当時そんな事が出来るのはアップル社のマッキントッシュ以外にはない。音楽ファンとしてだけではなく、僕のエンジニアとしての関心もいつか西に向けて走り出していたのだ。

Shows, not tapes
 デッドを聴き始めた頃、ジェリー・ガルシアのギターは上手いのか下手なのかよく分からなかった。が、いずれにしろ聴いていると肩の力が抜けてニッコリしてしまうのだ。気取ったところがなく、テクを誇張する事もない。バラッドなどを聴いていると、「歌うギター」でもあるようで憂歌団の内田勘太郎やマーク・ノプラーを連想させた。60年代や70年代のショーが手に入り、80年代後半のサウンドと聞き比べながら、デッドが長く進化しながら活動しているバンドである事も知った。70年代のジェリーがエリック・クラプトンのように神様扱いされていないのがむしろ不思議に思えるようでもあった。「Cantor Vault」に保管されているオープンリールのボード音源からダビングされたものは、演奏も音質も素晴らしいもので、朝から晩までデッドしか聴かない日々が始まった。
 いつの間にか買うCDの数が減り、以前のように毎週末数軒のレコード屋を回る事もしなくなった。ダビング用のカセットデッキを購入した。あのレコード屋の店員だけではなく、店内で他のヘッズとも出会った。彼等がやっていたデッドのカバーバンドのショーにも足を運んだ。職場にも数人のヘッズがいる事も発見した。「お前のファーストショーはいつだった?」と尋ねられる機会も多くなったが、「僕のファーストショーはまだなんだ」と答えるしかなかった。テープのコレクションは100本ほどもありながら、ショーに行った事がないというのはこのバンドを理解している事にはならないのだ。新しいサウンドを求めて広い範囲で音楽を聴く姿勢を持ちながら、デッドに関してはどこかマインドブロックされているところもあり、もともと頭が固い事や想像力の無さも手伝って「自らツアーする」というコンセプトが上手く把握できなかったのだ。
 だから僕はテープを集めながらただサイケデリック・サーカスが僕の街へやって来るのを待った。

コーン畑のお祭り
 待つ事数ヶ月。1988年の夏。遂に僕のファーストショーがやって来た。
 職場の同僚がGDTS(Grateful Dead Ticket Sales)のメイルオーダーで僕のチケットを買ってくれた。「もしデッドが好きになってしまったら、チケットの買い方も覚えないとね。」この男、ジム・サザンは今でも僕のベスト・フレンドである。どんな曲を演奏するのか僕には想像もつかなかった。が、ただ一つの願いは僕のファーストショーでTerrapin Stationを欲しいということだった。
 6月25日。大学時代からの知り合いで、ガールフレンドでもあったメリーベスがセントルイスからその前日に駆けつけ、蒸し暑い中西部の夏の一日に備えた。缶コーラ1ダース、1ガロンのフレッシュオレンジジュース、2ガロンの水をクーラーに入れ氷で一杯にした。サンドイッチとスナック類も用意した。パーキングロットで行われるというファンによるベンディングの為にも、キャッシュを用意した。
 暑い日だった。気温は摂氏36度。空には雲一つなく、しかも蒸し暑さがたまらない。
 会場のバックアイ・レイク・ミュージック・センターはオハイオ州コロンバス市から東へ1時間ほど離れたヘブロンというコーン畑の中に埋もれたような小さな街にある。そこへ向かうハイウエイにはすでに見慣れたはずのデッドのステッカーを所狭しと貼り付けたバス、バン、トラック、ステーションワゴンなど、長距離用でしかもキャンピングをしながらの移動生活に便利な車種が目立つ。やはり彼等は旅をするのだ。
 駐車場のゲートを通過した途端、僕にとって全く未知の世界が広がった。遠巻きに広大コーン畑が広がり、湿気をたっぷりと含んだ重厚な空気の向こう、おぼろげに、漂うように数軒の農家が見えた。日陰になってくれる木々も数本しか生えていないただの草原という感じの駐車場では、あまりの暑さにそれ程の活気を感じることは出来なかった。僕達は車の陰に寝そべりながら時々周囲の様子を観察して開場を待った。
 デッドの歌詞をわざわざタイプし、色とりどりの印刷を施したものを束ねただけのソングブックを買った。その頃中西部でも流行りだしたメキシコのビール、CoronaのロゴをパロディーとしたJerry GarciaのT-シャツも即買い。その後はひたすらデッドヘッズという新人類の様子を観察するのに時間を費やした。あの天候の下で市場が自然発生し、キャッシュと物々交換、トレードで商売が成り立っている様子がすぐ分かった。まるで中世の市場である。メインストリーム社会では浮浪者とさえ見られるであろう人々が躍動的に働いていて、初対面以前にお互いを自動的に受け入れている。会話を始めるきっかけというものをいちいち考えなくてもいい世界。これらの人々の背景には常時デッドの音楽が流れていた。野外の環境で、どこからかラジカセやカーステレオから流れてくるデッドの音楽は低音を聴く事が出来ず、Jerryのピッチの高いギターの音だけが耳に届いてくる。人々の動きがそのサウンドに不思議とマッチしているように思えた。皆、日に焼けてたくましかった。他のロックコンサートで頻繁に見られるいかつい態度がそのスペースでは全くと言ってよいほど欠落していて、リラックスできるのが大変ありがたく、居心地のいいゆったりとしたバイブレーションを楽しむ事が出来た。
 日が傾き、少々ではあるが気温が下がり始めた。あれだけ飲み物を飲んだにもかかわらずトイレに行く事はなかった。汗で濡れたT-シャツを車に残し、買ったばかりのJerryのT-シャツに着替え、僕たちはいよいよゲート前の列に加わった。周囲の人々は探していた仲間が見つかるとハグを交わし、ジョークを飛ばし、以前観たショーの話を交換し、誰もが笑顔だったように思え、誰一人としてその頃僕が生活していた社会にいるような人はいないとさえ想像できた。

開演
 会場は何の事はないだだっ広い草原で、ステージとPAのテント、周囲の飲み物のベンディングブース以外はステージ後方に松の木が一列に並んで立っているだけである。それぞれブランケットを敷き、その上に寝そべって仲間達と話を弾ませていて、大勢の街の人々が一度に集まってピクニックをしているようだった。色彩はカラフルだ。タイダイの多さ、デザインのバリエーションの豊かさに見とれているとジム・サザンと彼の奥さんが僕たちを見つけてすぐ後ろにブランケットを敷いた。駐車場での出来事を話題に和やかな時間が過ぎていく。ジムは観衆の中に職場で見かける連中を数人発見し、「あいつもヘッズだったとは知らなかったぜ」とニタニタしている。「ミーティングで一緒になったらからかってやろう。」
 この日はBruce Hornsby & The Rangeが前座を務めた。彼の曲はヒットチャートに昇った「That's The Way It Is」くらいしか知らず、ヒット曲目当てのアーティストだとしか考えていなかったのだが、後日それは僕の大きな過ちである事が判明する。彼等のセットは約1時間で終わり、ステージのセッティングとなる。初めて体験するデッドの最初のセットに向けて新たに気持ちが高まってきていた。そしてさらに日が傾き夕暮れ迫り、体温と気温が同じになって不思議な夏の心地よさを感じさせてくれる頃、その時がやってきた。
 草原に大歓声が上がり、同時に観衆全てが立ち上がった。あれほど多くの人々が同時に微笑んだり笑ったりしているのを見たのはその時が初めてである。世界が一瞬のうちにロージーに感じられる。デッドのメンバーがステージに上がった。彼等が最初にやったのはチューニングである。プロダクションが目玉のロックバンドのコンサートとは全く違うというのが、そんな事でも分かった。照明が消え、スモークがゆっくりとステージ上を這い、隅っこの方から暗闇の中を懐中電灯に先導されたロックスター達が配置に就き、大照明、大音量、大歓声と共に最後の一音までコーディネートされた見世物とは違い、「ちょっと待ってね、今チューニングなのよ」という感じの正直さ、シンプルさが新鮮だった。ジェリー、それにもっと時間をかけるボビーがチューニングを終えて観衆に向かうまでのウキウキしたじれったさはどうだろう。何もかもが違っていた。お互いに目を合わせ、悪戯を始めるタイミングを伺う餓鬼大将のようにニンマリするメンバー達。1秒後、2秒後には何が起こり、どんな感動の中にいるのかは全く分からない。ハッピーである以外は未知なのだ。

First Set
 「Feel Like A Stranger」のコンテンポラリー調のイントロが始まると同時にハッピーで仕様が無いという歓声があちこちで上がり、観衆全体がモコモコと蠢き始めた。決まった踊り方などはない。人それぞれ性格や感受性が異なるのであれば、音を受け入れ、その反応としての踊りが一人一人異なるのは当然だ。上手い踊りはある。が、踊りが下手な奴というものは存在しない。踊りとスマイルで会話するファンもいた。観衆の固まりの後方には走り回れるほどのスペースがあり、そこではただ目を閉じてクルクルまわりながら踊るフリーク達がいた。見ているだけでこちらの目が回りそうである。後で知った事だが彼等は「Twirler(トゥワーラー)」と呼ばれる人達で、面子は異なったがその後のショーでTwirlerがいないショーは一度としてなかった。「Stranger」から間髪を入れずJerryが「Franklin's」のイントロを始め、歓声がさらに高く上がる。軽く明るいこの曲は「If you get confused, listen to the music play!」の個所で最高潮に達した。観衆はさらに激しく、しかし軽やかに身体を揺する。初っ端から20分近く踊り続けである。ジャムの高揚はエキサイティングでスムーズ、身体が上下ではなく横に動きたがるような流れだった。曲は仰々しいドラマチックなエンディングではなく静かに終わった。曲と曲の間のチューニングはテープだけを聴いていた時はじれったく感じたが、相変わらずデッドのメンバー達は急ぎもせずにやっている。Philがマイクに近づきその高さを調整していると、どこからともなく歓声が上がる。「Box of Rain」であまり上手くはないが微笑ましいPhilのヴォーカルが聴けた。優しい曲だった。「Sugaree」でBruce Hornsbyがアコーデオンを持って登場した。オープナーのバンドのリーダーをゲストとして迎える義理のようなものだろうと軽く考えていたのだが、JerryとBruceが交わす笑顔を見てこれはその場限りの共演ではない事がはっきりと伝わってきた。Bruceも加わった「Memphis Blues Again」が始まると、大のDylanファンであるジム・サザンは大きな歓声を上げる。その前年のツアーで彼はDylanとDeadの合同ツアーを体験していたのだが、その興奮が再び彼を包んだに違いない。続く「West L.A.」ではJerryがブルージーなギターを披露する。Jerryの曲のグルーブはどこかユニークで不思議なノリを伝えてくれるが、これもその一曲である。「Tennessee Jed」もそんな雰囲気がある。僕の身体は今までにない動きで動いていた。気がつくとドラムスではなくPhilのベースに身体の動きを合わせていた。デッドヘッズ達はただスマイルしながら踊っているわけではなかった。チューニングの際に聞こえるギターのセッティングや数音を拾って次の曲がなんであるかを察知している。「Cassidy!」と誰かが言い、「Oh yeah〜!」と誰かが応える。この曲では曲のメロディーから推察できないような開放感あるジャムの部分があってどのバージョンも面白く聴ける。あたりが薄暗くなり、ベンディングブースの明かりが浮かび上がる頃、「Deal」が始まり、暫くメローだった観衆の動きがいきなり活発になった。Jerryのギターが冴える。体の中がぱっと明るくなるロックンロールだ。曲の最後はこの時ばかりはドラマチックなエンディングだった。セットの終わり。たった今何が起こったのか、その時の僕にはそれを十分に把握する事も、分析する事も、明瞭に思い出す事も、表現する事も不可能だった。茫然自失ではない。ゆったりとした心地よさ、開放感、身体と心の中の暖かさが新しいものだったからだ。後にも先にもGrateful Deadは決してショックではなかった、Jerryの死を除いては。
 あたりを見回しながら、僕は同じ感情を多くの人々と共有しているのを感じた。新しい、広がった世界がそこにあるように思った。

Set Break
 セットブレイクで今朝自宅を出てから初めてトイレに行った。蒸し暑さは残っているが、汗はそれほど出なくなっていたからだ。きっとカリフォルニアではこんなに暑い日が多いのだろうか。そんな事を考えながらブランケットへ帰還。仲間達とはファーストセットの感想を交換し合った。ジムが「テーパーセクションの様子を見に行かないか」と誘ってくれたので、二人で歩き始めた。この観衆には喧燥がない。少々飲み過ぎたか昼間の暑さで疲れたか、寝てしまっている人は数人見掛けたが、不幸せな人や不機嫌な人、怒り、苛立ちという感情がそこにはなく、笑顔の面を付けた黒子の集団に囲まれているような錯覚を起こすかとも思われた。テーパーセクションはブレイク中の忙しさに満ちていた。ファーストセットのテープを聴き直し、レコーディングレベルを確認、テープデッキのバッテリーの確認、セットリストの確認、新たなテープのセッティング、などなどが行われていた。テーパー同志が情報を交換し、テクニカルな話題で盛り上がっているようでもあったが、僕には理解できる筈もなかった。ただ、この人達が録音した音源が、この観衆の多くの人々に広がっていくのだという認識は出来た。
 セットブレイクの長さは思っていたよりもはるかに長く、30分を裕に超えていた。このゆったりしたブレイクは仲間達と話をしたり、スナックを食べてリフレッシュするのにちょうどいい。僕はジムが語る彼の感想をじっと聞いていた。彼はBruceのゲスト出演を高く評価していて、やはりDylanの曲を聴けたのが嬉しいようだった。「あの曲でアコーディオンというのは当たってるぜ。最高だ!」
 そして会場のライトが消え、ステージが明るく浮かび上がった。ステージの左側後方から満月に近い月が出ている。松の木と合わせてどこか日本的な雰囲気だった。

Second Set ~ Encore
 セカンドセットの最初の3曲は、新曲であったせいか正直言って確かな記憶がない。「Victim」のダークで重い印象がそうさせたのだろうか。「こんな曲もあるんだ」とデッドの別の表情を垣間見た気がしただけなのだ。だが、「Foolish Heart」の中から浮き上がってきたシンプルなイントロで全てが一変した。僕が聴きたいと思っていた「Terrapin Station」だった。鳥肌が立つ。僕はTerrapin Stationに立っていた。そしてJerryが「Inspiratioooooonnnn!」と声を放ったと同時に、全てのライトが白光と変り、その全てがJerryに集中した。僕の目には、ステージ上方に浮かぶ月、松の木々、その後方に広がるコーン畑、そしてステージ上にただ一人、Jerryがいた。この光景は14年たった今もはっきりと復元する事が出来る。その後多くのショーを経験した後も、あの一枚のバーチャルイメージが僕にとってはGrateful Deadだったりもする。

 「Drums」は圧巻だった。どんな楽器をどのように操作すればあのような音が出るのか、その時は知る善しもなかったが、ドラムスの音が心臓の音と似ていると肉体的に感じたのもその時が初めてである。「Space」は無限に広がる宇宙というよりは「無」のイメージの方が強かった。その無から次第にフォルムが形成され、それが躍動する「The Other One」に移行して行く。「Drums > Space」の間休養していた観衆が大きな動きを再び見せ始め、僕はその中の小さな一粒となって振動している。反復するテーマは熱く、その熱が上昇していくのが分かった。そしてPhilのベースの轟音と共に静けさが訪れた。「Wharf Rat」は日本の演歌をJerryがアレンジしたような一連のバラッドの一曲である。いわゆる「Jerry節」だ。カリフォルニアに移ってから出会った日本人のデッドヘッズの多くがJerry節が好きだと言っていたが、演歌歌手の歌の上手さとは異質でも、歌詞といい、Jerryの表情といい、日本人ヘッズに共鳴する要素は確かにあると思う。Jerryのギターがちょうどいい音の数とエモーショナルな表現で美しく輝く曲でもある。「Throwing Stones > Not Fade Away」はBobbyの独壇場で、Deadのロック要素が前面に出る。観衆は同じリズムで手拍子を合わせた。「Not Fade Away」が「ンパ、パ、パッパ」で終わり、バンドメンバーがステージから降りた後も手拍子が休むことなく続く。数分後、バンドはアンコールのために再びステージに上がった。声援が湧く。まるで猛暑とダンスで未だに火照る体を労るようにJerryが「Knockin' On Heaven's Door」のイントロを演奏し始め、バンドのコーラスが続いた。Dylan好きのジムはまたもやニンマリしながら身体を左右にゆっくりと揺らしている。月は高く、夏の湿った夜の空気が肌に涼しい。ショーが終わっても人々は幸せそうだった。「See you at the next show!」そう言ってハグを交わす人々。「Pittsburgh -> New York」と書いたサインを持って次のショーへの足を探している少々心配そうな若者達。にっこりしながら「Ticket for Pittsburgh?」のサインを持ってすでに人差し指を夜空へ向けて立てている少女達。夏休みは始まったばかりだ。

その後
 僕のfirst showではセットリストが理由なのだろうか、音楽面でサイケデリックという印象は特になかった。むしろデッドヘッズ達を見ている事の方がもっとサイケデリックだった。サイケデリックを音楽で体験したいという強烈な願望はむしろfirst showの体験で生まれたといってもいい。1988年から89年へのニューイヤーズが僕のサイケデリック実体験となったのだが、オハイオの町外れ、コーン畑に囲まれた会場でのショーがそれを渇望させたのだ。カリフォルニア州オークランドでのニューイヤーズは西海岸への移動を使命とも感じさせた。短期間のシアトルでの生活を経てカリフォルニアへ移ってきてからも、Deadショーへ行く度に僕が生きるスペース、ライフスタイルのヒント、多くの仲間達を見出す事が出来た。Jerryの死後もそれは変らず続いていて、過去に存在した別の可能性は全く無意味になった。CoronaのロゴをあしらったT−シャツぼろ布になってしまったが。
 現在僕の職場外での友人達はほとんどが音楽フリークだ。僕をそんな世界に投げ出したのはGrateful Deadであり、彼等を初めてライブで観た時のゆったりとした平和な開放感に満ちた心持ちであり、周囲の人々との不思議な連帯感である。僕に何らかの意図があるとすれば、それが今もいかに不完全な形であろうとその原型はあのスペースで植え付けられた。
 その後の僕は今ここにいる。

 

Grateful Dead
06/25/88
Buckeye Lake Music Center
Hebron, OH

SET 1
Feel Like A Stranger [8:01] >
Franklin's Tower [8:33]
Box Of Rain [6:00]
Sugaree [1] [8:53]
Stuck In Mobile With The Memphis Blues Again [1] [2] [8:53]
West L.A. Fadeaway [6:46]
Cassidy [6:09]
Deal [7:26]

SET 2
Victim Or The Crime [6:29]
Blow Away [6:46]
Foolish Heart [7:03] >
Terrapin Station [11:56] >
Drums [10:02] >
Space [7:50] >
The Other One [9:10] >
Wharf Rat [9:11] >
Throwing Stones [9:24] >
Not Fade Away [6:41]

ENCORE
Knockin' On Heaven's Door

[1] With Bruce Hornsby on Accordian ; Bruce Hornsby and the Range opened.
[2] Phil says "Ladies and Gentleman, Bruce Hornsby on the accordion".

文 by wolf

セットリスト by The DeadLists Project

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