ポストPhishの展開
トレイ・アナスタジオ、自身の言葉で大いに語る

ウィル・デイナ、ローリング・ストーン誌
07.19.01

Phishの4人のメンバーが昨年の秋に下した決断は、ロックの世界では前例を見ないものであった。17年間に渡り1300ものコンサートを共にしたトレイ・アナスタジオ(g、vo)、ジョン・フィッシュマン(dr)、マイク・ゴードン(b)、そしてペイジ・マッコンネル(key)は、昨年秋、活動停止を表明した。解散とは言わなかったが、同時に復帰に付いても定かではない。喧嘩、口論等はなかった。バーンアウトでもなければ消滅でもない。彼等は頂点にあって、ただ静かに動きを止めただけなのだ。

8ヶ月後、アナスタジオは新たな音楽生活に深く身を沈めている。今春、プライマスのレス・クレイプール(b)、ポリスのスチュワート・コプランド(d)が参加したパワートリオ、オイスターヘッドのアルバムを一ヶ月かけて制作。ここ数週間は、彼自身のバンド、キング・サニー・アデのナイジェリア・ジュジュを思わせるホーン主体の8人構成からなるアンサンブルで活動してきた。「この6ヶ月間の音楽活動量を思うと、なぜPhishが停止したか分かるような気がするね。」アナスタジオは言う。Phishの活動停止以来最も長いインタービューで、アナスタジオはバンドの初期や活動休止について、さらにPhish後の生活を形作るプロジェクトの様々について語ってくれた。

Rolling Stone(RS): Phishの活動休止に関する決断は困難なものだった?

Trey Anastasio(TA): とても感情的なものだったね、ポジティブな意味で。最後の一週間は誰も寝てなかったんじゃないかな。僕らは、そうだな、一週間ほどずっと目を覚ませていた。レノの番組[ジェイ・レノのトークショー、「Tonight Show」]でやった「Twist」の荒っぽさでも分かるように。でもそれは驚くべき事だった。だって誰も眠らなかったのは皆がお仕舞にしたくはなかったからだ。この17年間は驚異の年月だった。なんだか分からないけど何かが起こった。その事については我々みんなが恵まれていたと思った。本当に夢のようだった。驚くべき事だ。そしてあのニューイヤーズのショー[フロリダ州のインディアン指定地区、ビッグ・サイプレス・セミノルで1999-2000に行われた]は、まさに絶頂だった。あのイベントについて一歩下がって考えてみると、会場は沼地の真っ只中に設置されたんだ。そこへ行く道はなかった。僕たちが道路を築いたんだ。全てが何もないところから築き上げられた。8万人の観衆が全国から結集し、まずい事はほぼ何も起こらなかったと言っていい。

RS: 準備を始めたのはいつ?

TA: 少なくとも半年前には始めたな。ツアーの間に我々4人がホテルの部屋に集まって、マネージャと共に全側面をプランした。イベントの最低6ヶ月前、下手すると9ヶ月前かも知れない。場所を探し始めたのはイベントの1年前だ。あれが出来たのはそれ以前に4、5回経験があったからで、そうでなければ実現は不可能だった。つまり、Lemon Wheel、The Great Went、Oswego、そしてCliffordなどのイベントだ。

RS: ロジスティックス(管理活動)が好きみたいだね。

TA: そうそう。あのニューイヤーズショーについて驚くべき事は、それに至る一年一年が積み重なってあの時点で頂点に達したという事だ。85年にAmy's Farmでやった最初の野外イベント以来、僕たちがやってきた事全てがなければ、到底実現できなかったんだ。Amyは僕らのオフィスでグッズ県警の仕事をしている女性で、オフィスに行けば会えるよ。そのAmyが農場を持っていて、「あそこでショーをやろう」という事になった。ステージも作らなきゃいけなかった。全部自前だ。全ての事がうまく運んだ。皆キャンプしてね。素晴らしかったよ。バンドそのものよりもイベントの方が大きくなった感じだったな。

RS: このコミュニティーを基にした考え方っていうのは一体どこから来たんだろう?一束のティーンエージャが集まって事々を解決していくというのは目覚しい事だと思うんだが。

TA: そのほとんどは共同制作の精神だ。その大部分が「皆それぞれ何を提供できる?」という感情だ。僕ら4人の間では常に「もし誰かが何かを提供できるのであれば、入れてしまおう」という気持ちがある。この考え方が、僕たちを予期しなかった方向へ推進し始めたんだ。このような大きなイベントでは、アイディアを持っている関係者の誰もが提案できるような、オープンな場を持つ事を、僕たちは常に哲学として持っていた。だからCilfford Ballからthe Great Wentに至る事になると、別々の事が出来るアーティスト達を含める傾向が出てきた。ミニチュアの町まであった。最高だったよ。僕が気に入っている逸話にこんなのがある。メイン州のライムストーンにあるthe Great Wentに僕らはいた。そこではありきたりのフェンスの代わりに、曲線状の壁のようなものが欲しかった。数百人のアーティスト達が閉鎖網のようなもの − 説明しにくいんだが − を作っていた・・・とにかく、僕たちにはフィナーレのためのあるアイディアがあった。それには巨大な象が必要で、僕らはその象を作るつもりだったんだ。近くに空軍基地があって、そこには巨大な消防車が常駐していた。その基地はスペースシャトルが緊急着地に使うところで、大火が発生した場合のためにその巨大な消防車を置いていたわけだ。僕たちはホテルの部屋でマネージャと話し合った。「この消防車を何とか使えないだろうか?」「うん、それを使ってでっかい象を作ろう。で、『Baby Elephant Walk』をやるんだ。」他のいろんな動物達も使ってパレードをやるアイディアがあって、この象がその先頭に立つ。そして僕らは「Baby Elephant Walk」を演奏する。これがフィナーレになる。試してみると、その消防車がうまく行かない。いろんな人が大勢いた。夜遅くだった。僕は象が置かれるはずの倉庫にいた。大勢の人の中にクレーン車の作業員がいて、彼と話したのを僕は覚えている。彼は長い間ずっとクレーン車を動かしていて、その時までクリエイティブな事なんて頼まれた事なんかなかったんだ。僕は「あんたならどうする?」ってきいてみた。すると、いきなりそんな機会に出っくわしたものだから彼はすっかり興奮してしまった。結果的に、彼はとても創造力のある人だったんだ。彼は模索思考を始め、他の人たちも模索思考を始めた。僕たちは、ほんの短時間後にはもうそのクレーンを使っていて、その男にクレーン車を運転させ、紙製のでっかい象の頭をその上に乗せていた。そこにいた人々は皆参加していた。ロープを引っ張る機械とかもあって・・・素晴らしかったな。彼等はその夜ずっとそれにかかっていた。僕はその時思ったんだけど、あんな事が出来たのは上下関係というものが無く、その代わり皆の気持ちが一緒になったからだ。そして、それがこのニューイヤーズのイベントまで引き継がれた。それはとてつもない事だったし、うまく行ったのが今でも信じられない。ロードクルーは道路を作り、グリッドを築き、それらはみな街のようになった。一台の車につき60フィート平方の駐車スペースがあって、そこで駐車もキャンプもセメントの上ではなく、草の上で出来るようになったし、道路もグリッド状に作られて、地図も出来た。これが2マイルにも渡って出来たんだ。これはまさに過去17年間の絶頂だった。

RS: そんなスケールの大きな雰囲気に浸れる事について、寂しさは感じる?

TA: いや、そんな事は全く無い。あれがなくなったから寂しいと感じる事はないよ。そこが面白いところで、寂しくはないと同時に、僕にとってはこういう事はとても言い難い事なんだ。だって誰にも不快な思いをさせたくはないからね。こんな素晴らしい出来事の一部であった事を否定する事なく言うんだが、音楽的には、ここ数年間というもの、作曲する事よりも、僕たちが作り上げたとてつもなく大きいこの団体における個人的なクライシスの数々を処理する事に方に時間を費やしたように感じられてならない。作曲をする事がますます少なくなった。僕らが最後にリリースしたアルバム[「Firmhouse」、2000年発表]を考えてみると、トム[・マーシャル、アナスタジオの共作者]と一緒にリリースの2年前に書いた「Twist」、「Farmhouse」、そして「Bug」などが半分、もう半分は僕のもう一つのバンドと一緒に作った「First Tube」、「Sand」や「Gotta Jibbo」等だろう。

RS: その立ち向かわなければならなかったというクライシスは、どういう内容のものだった?

TA: [ため息]ピートも証言してくれると思う。ピートはうちのロードクルーなんだ。まず、オフィスでは40人からの人間がいて、みんな僕と何かを話したいために昼飯に誘ってくる。分かるだろう。サラリーの問題とか、「何で私はこれをさせてくれないの」とかさ。その多くは、「昔まだこのバンドが小さかった頃は俺にも決定権があったのに、なぜ今は参加できないのか?」みたいなのが多い。僕の立場上、常に責任は感じる。皆がハッピーであって欲しい。それに疲れてきたんだ。僕らはかなり大きなインフラを持っていたからね。

RS: 僕が読んだジェリー・ガルシアとのインタビューでも同じ事を言っていたな。とどのつまりは追い込まれてしまったという事だね。

TA: 彼等は僕らにとっては大きな見本だったし、僕は、団体の人々を養うためにツアーをやるというような状況の二の舞は極力避けたかった。それがファミリー・オーガニゼーションの大きな欠点といえるだろう。このバンドの場合、僕は自分の家へ帰って、ベースメントにもぐりこんだ。リズムセクションを決め、キーボードプレーヤーを呼んで、まず4人になった。新曲が数曲あったから、その14曲を一曲ずつ一人一人にやってもらった。とってもラフで、それにモノだった。自宅の地下室でそうやって組み立てていった。5日間のリハーサルを僕のリズムセクションでやった。そして僕らはこれらの曲を録音して1チャンネルに押し込んだ。ホーンセクションの部分は僕が基本的には歌った。そこで皆には帰ってこれらの材料を転写してもらい、そして3週間かけて録音する事にした。その時点で初めて8人全員が一つの部屋に集まったわけだ。これからもずっとこの方法でやろうと思っている。オイスターヘッドの仕事もあるし、他にもたくさんやる事があるけど、今は僕のソロアルバムを作ろうとしている。Phishが停止したその翌朝、僕はこの準備を始めたんだ。考えてみると、この6ヶ月でやった音楽の量といえば・・・[結構の量だ]。まずオイスターヘッドとDAT一本、アルバム一枚分、ミックスも含めて書いたし、今度はこれだ。これがたった6ヶ月で出来たんだ。

RS: 4人のメンバーの一人という代わりにバンドのリーダーになった事についてはどう感じている?

TA: 今のところはいい感じだね。だって、僕が思うに・・・この辺はちょっと妙な部分なんだが・・・以前のPhishの時とはそれ程変っていないように思うんだ、ある意味ではね。[Phishの時も]僕は同じような役目を果たしていた。ただ、Phishの素晴らしかった点は、それが一つのグループであり、しかし一方で終わりの方でそれがちょっと困難な事だった。なぜなら、僕には数多くのアイディアがあったから、最初のうちは僕が全て作曲していいたけど、暫くして居心地が悪くなった。いろんな曲を持っている事を気まずく感じ始めたんだ。だからちょっと押さえ気味になったわけ。その上、他のグループも持つようになって、それがちょっと・・・まぁいいや、つまりこういう事。僕はそれについては今とても気分がいい。(笑)僕はやらなければならない事だったし、皆にもそれぞれやる必要がある事があったし、僕達はPhishが全ての人々の全てにはなり得ない、という事を認識したんだと思う。そうしようと頑張った分、それが不可能だという事が分かった。という事は、僕らにとってはこれがチャンスなんだ。フィッシュには他のグループがある。マイクは彼のやりたかった映画をやった。ページは、知る限りではトリオを作るみたいだし、レコーディングもするらしい。こうする事には、何かこう気持ち良い、健康的なフィーリングがあると思う--誰でも一生に一度チャンスがあるわけだから、みんなやりたい事をやればいいんだ。出来れば、やりたい事をやってこれらのプロジェクトをこなしながら、理想的には一緒になって、幸せで健康な人間になれればいいと思っている。

RS: ハードコアファン達はこの喪失についてどうしたと思う?

TA: 反対されるかも知らないけど、敢えて言うと、彼等はある意味で喜んでいる。僕らはこうする事でファンのために正しい事をしたと自信を持って言える。僕らはこうしなければ、質のレベルが落ちると感じていた。Phishが活動を再開する事について、僕に確信が無いのは正にそれが理由だ。だって、以前と同じ位良くなかったらカムバックしてもしかたがないだろう。今いくつかのライブアルバムの編集をしているんだが、やっていて気づいたのは、いかにあの頃のテンションが高かったか。そして、ファンへの敬意と、それ以上に音楽そのものへの敬意を持って言うと、去年やっていた事の中に僕が気に入らない事を垣間見た。

RS: それはバンドの中で?それともオーディエンス?

TA: オーディエンスの中では絶対にない。オーディエンスは素晴らしいよ。バンドの中での話だ。ちょっとした怠慢があったりするかも、とかさ。わかるだろ?3ヶ月半の間、毎晩4、5時間を次の夜のプランを立てるのに費やしていたんだ。僕の部屋でノートにセットリストを書いて、新しいセクションを付け加え、いろいろやっていると興味がいろいろな方向へ向けて湧いてきて、それがどこへ行くのか見届けなきゃいけない。そのアイディアにくっついてフワフワ浮いているだけでは充分じゃない、ただ浮いている事も出来るからといってね。そういう屁理屈は確かな理由ではない、僕にとってはね。(笑)Phishのツアーのまわりにはエキサイティングな事が本当にたくさんあって、もしそうする事を止めてしまったら、17年間僕達がやってきた事がみんな駄目になってしまう。

RS: 作曲のプロセスはどんな風に進行するの?

TA: 作曲は常にやっている、ピアノでも、ギターでも。「Guyute」は楽譜だった、オーケストラ用だったから。僕らのフォーカスはライブ中心だった。アルバムのために作曲した事はないよ。何年もの間、僕が書いたものすべては、最後のほんの少しを除いてショーのまわりで書いたものだ。例えば、セカンドセットの最後の曲を書くぞとか、「よし、ドカーンみたいな曲、速い曲、あるいは遅い曲が要るぞ。キーが全く違う曲が要る、でないと観客の耳が退屈してしまう、」とかね。そんな感じだ。僕らはショーのために曲を書いた。このグループでもそれは同じだ。だって、アルバムはまだ一枚もないんだから。

RS: 「ラジオで流行るような曲を書こう」とか思った事はない?

TA: 思った事はあるよ。でも、どこか間違ってるよね。実際にやった事もあるけど、なんか「不潔」っていう後味が残るよね。(笑)ラジオが嫌いだといっているわけじゃない。いい例を挙げよう。今Toolっていうバンドの曲をラジオでよく耳にするだろう?僕はあの歌大好きなんだ。実際にあのアルバムも買ってしまった。凄くいい曲だ、「Schism」っていう。知ってる?気がついたらあの歌が聴きたくていろんなラジオ局を聴いていた。ラジオで流れる歌は好きだけど、作る側の意図は、まずいい曲を書く事だと思う。それがたまたまラジオで流れるんであれば、それはそれでいいんじゃないかな。納屋を持っていると意見が変るよ。ここに来るとレコーディングスタジオに行くという気がしない。このバーンに来るのは、経験そのものという要素がもっと大きい。焚き火をして、みんなそこら辺にたむろしている。僕がこのバンドでやろうとしているのは、初めてメンバーが集まった時点で、演奏する曲の全てが揃える事なんだ。まず、ホーンセクションのリハーサルを一週間やって、彼等が帰ったら、収録したディスクと楽譜を送る。よく覚えてもらうようにね。で、彼等が戻ってきたら部分に分けて2日間のホーンの特訓をやる。僕自身はリズムセクションとリハーサルをする。そして、僕ら8人が初めて一堂に会した時点で、その2日前から来ているプロデューサのブライス・ゴッギンが全てを録音する。初めてみんな揃った時でもそのままレコーディングするよ。物凄い事になるという気がしている。

RS: パーフェクトではないが、新鮮なものを求めているという事?

TA: ファン達は皆、何年もの間僕達のつまずきについてはとても寛容でいてくれている。演奏が向うへイッちゃって、僕らがアホみたいになる時も、ファン達はそれをあまり責めるという事はしなかった。だって僕らは結構頻繁にそんな事をやらかしてたからな。君がコンサートにいった時も、僕らは一度か二度そんな事をやったのは確実だろう。この前のツアーでも、ホーンプレーヤがいて、作曲も皆でやって、それらの曲で3日間位リハーサルをやった。その曲以外に曲が無いんだから。で、ドーンとツアーに出た。カバー曲をツアー中に覚えたりもした。だけど後で聴いてみると酷いものもあった。このツアーではそんな事はしないつもりだ。あのテープを聴いて、「ワオ!凄くいい部分もあるし、可能性も秘めているんだけど、もっとよくしないと駄目だな」と思ったわけ。前のツアーではその詰めをやらなかった。ファンだってあのテープを聴いて、いろんな部分で「この辺はもっと聴きたいけど、あの部分は二度と聴きたくない」なんて事があるに違いない。

RS: ショーの後でそのテープを注意して聴くことはある?

TA: Phishの時は聴かなかった。このグループでは聴いた。前のツアーは自分で強制的に聴いた。白状すると、あまり気分がいいもんじゃない。(笑)でもその結果、何をすればいいのかが分かったよ。この夏のツアーのために2ヶ月のリハーサルをやるつもりだ。バイブレーションが全く違う。まずレコーディングを先に行う。なぜかと言うと、レコーディングをするということは全部の事に関して櫛を当てるようにチェックして、考えている通りになるように調整できるからだ。ただ一切合切詰め込むようにはならない。あまりカバー曲が多くなるのも面白くないしね。

RS: Phishについてもっと話したい事はない?

TA: 今はとても興味深い時だ。僕の心の底にはPhishへの強い思いがある。あの3人との関係は本当に素晴らしいものだったし、今でもそうだ。こんな事、そうざらにあるもんじゃない。一つ例を話そう。僕が今やっている事については彼等からは励まし以外の何物も聞いていない。可能性としては、僕がオイスターヘッドのアルバムを作ったり、オイスターヘッドとツアーしたり、その他諸々の事がある種の脅しと理解される事だってあるわけだろう。普通、他のバンドだったら問題になるだろう。僕らの場合はその正反対。別の角度から見ると・・・どう言えばいいかな?・・・Phishは強力な共同体で、ファンが僕の隣にジョン・フィッシュマンがいない事に違和感を持つかも知れない。僕のツアーの間に、ファンがいろいろな事を叫んできたりする事もあるけど、でもほとんどの観衆は僕のやっている事にはオープンでいてくれている。僕らはライブアルバムを発表する予定で、活動を休止した後、いきなりPhishを聴く事になった。全部で6枚のライブアルバムを同時に発表するんだ。半年後にはさらに6枚。僕達はこのために4人で6つのショーを選ばなければならない・・・6つとも個々完全なショーなんだ・・・このためには何年か経って始めて僕達自身の演奏をじっくり聴くという作業がある。僕達4人全員が、腰を下ろしてPhishを聴くわけだ。この過程で多くの事を学んだよ。僕はある種のPhishファンになっちゃった。以前そうだったかは僕自身知らないんだ。最後の2年間は混乱する事が多かった。最後の2回のツアーの間に、ステージを降りてから「ねえ、今のは・・・えーと・・・良かった?」なんて聞いた事が何回かあった。こんな事は本当に初めてだったんだ。僕はそんな事を自問した事は過去に無かった。いつも前向きに動き続けているような気持ちだった。それに圧倒されるようになって、僕達はそこから一歩外す必要があった。でもこのライブアルバムの仕事をしている間に、また解ってきた。

RS: 以前には聞こえてなかったもので、今聞こえるものってあるのかな?

TA: エネルギーだね、殆どが。まぁ、それには2点ある。調子がいいときは、一緒にプレーするという、ユニークな四頭のモンスターみたいなサウンド?それがある。以前は一日5時間から6時間練習していた。テープを聴いていたらしばらく忘れていた何かがその中に聞こえてきて、あの頃の事がなんてクールだったんだと思った。僕はいつも思うんだけど、そんなサウンドが始まったのは、もしかして・・・僕が87年か88年に作曲したものの多くはフーガ調のものだった。必ずしも厳密にはフーガではなく、そのころ僕がハマっていたいろんなテーマの多くだとバリエーションだとかだったんだ。フーガを演奏するときは、当然バッハのテーマやバリエーションを連想するだろう。あれは単純な音楽で、新しいものを作り出すのではなく、バリエーションを作るんだ。逆にしたり、前にしたり、スローダウンやスピードアップとか。僕らの場合はパート4つの音楽・・・ピアノに手が二つ、ベースとギターだ・・・そしてチームワーク倫理がある。そして演奏をある時点で止め、そのときベース、ピアノ、そしてギターがその音を出していたかを聞くと、そこには常に何らかのコードがあり、モーションがあり、ルールが存在する。それが忠実な演奏の仕方だ。

僕たちはこんな風にとてもとても複雑で、凝った音楽であるフーガを演奏し、その後すぐにジャムを持ち込んだ。古い時代のPhish、例えばファーストアルバムの「David Bowie」、「You Enjoy Myself」、「Reba」なんかを聴くと、それは複雑で凝った、演奏者のみんなが手と手袋のように密着して演奏したものだということが分かる。ただ誰かがコードを弾いて、ほかの誰かがソロをやっているようなものではない。みんながそれぞれ重要なんだ。これらのテープを聴いて(一番最初の頃まで戻って聴いたんだ)、僕がそこで聴いたのは、このような演奏の仕方そのものが僕らの即興の仕方に影響を与えたかも知れない、ということだ。臨機応変にその場で作り出すことをやっているうちに、今度はそれそのものを再現しようとトライし始めた。さらに僕たちは常に会話していた。常に、だ。バンドの練習は凄かったぜ。Phishの事を思うとき、僕の気に入っていたのはバンドの練習だった。僕たちの練習は凄かった。僕にとっては、練習するのがギグに行くのと同じくらいエキサイティングだった。僕らはいつもなんか変な儀式みたいなものをやって、お互いが親密になるように試みた。とても面白い人間達のグループと言えるね。僕はみんながフィッシュと半時間だけでも会話が出来るといいなと思っている。マイクとでも、ページとでも同じだ。あの3人については僕はそう感じている。彼らは本当に賢い連中だ。で、僕らはバンドの練習でほとんどの時間をそこら辺に座って話をして過ごした。大体お互いのアイディアをぶつけ合っていた。だからこのフーガスタイルの演奏は、そんな会話の状態へ向けて、プランなしに到達するような方向へ進化していったわけだ。

そして自分たちで課題を出し始めるようになった。最初の課題はまねのしあいだった。これはもっともシンプルなものだった。僕がフレーズを弾いて、マイクがそれをまねして、ページもまねして、フィッシュはドラムでそれをメロディカルに出すような方法を見つけなければならない。それがサークルとして出来るようになったらすぐに、今度はマイクがフレーズを出す。要点は、それぞれがリーダーになり、かつフォローする事が出来るようになることだ。次のステップは、一人が一音だけ出して、ほかのメンバーはその音の出し方をまねするというもの。僕らはそれを30分ほどやった。それから協音を出す練習。これはドラムでは大変だけど、まぁなんとかやってみる。一人が一音出して、ほかはそれにハーモナイズするような音を出す。いつしかそれが何かを生み出すようになる。これは僕が気に入っていたやつだ。つまり、誰かがシンプルなフレーズを演奏して、ほかの連中はそれに会うようなフレーズを作り出す。そこでのたった一つのルールは他の人と同じダウンビートで答えてはならないということ。みんなは全員が密着した状態になるまで穴を埋めて行かなきゃならず、しかも誰も同時に終わるということがない。だから、例えば僕があるフレーズを始めたら、ほかのみんながそれを埋める事になる。そこで僕たちが知りたかったことの一つに、僕らのマインドが一致させることが出来るかということで、それを知るために、もし誰か一人がみんなが一致したと感じた瞬間「ヘイ!」と声をかける。もしそこでみんなが同時に「ヘイ!」って言ったら理想的なわけだ。なぜならそれぞれがお互いを聴き合っていて、自分だけの音を聞いているんじゃないからだ。その目的はほかのメンバーがやっていることに聴き入ってしまって、自分がやっていることは考えられないような状態に達することだ。ただ聴くことが全てになるわけ。みんなが「ヘイ!」と言ったら、順番は右へ回り、右にいる人がフレーズを変え、他のメンバーはそれを何とかしようと試みる。

RS: 他の人はみんな君たちをキチガイ扱いしたんじゃない?最初は。そんなことをする大学生ってあんまりいないだろう。

TA: 周りの連中は知らなかったと思うよ。僕らはただ楽しむためにやってたんだ。正直に言うと、本当のことなんだけど、僕たちがこんな事をやっている間、もし誰かが僕らは現実に将来いつか成功するか有名になるかだろうなんて言ったら、僕たちにはただショックだったろうと思う。僕たちは常に自分たちがカルト的なバンドであることは認識していた。僕らを好きになってくれたファンは、始めから、最初のショーを見た時点で気に入ってくれた。僕らはこんな事をやって、儀式のようなことをやって、夜通し演奏した。それは素晴らしいことだった。本当にとてつもなく素晴らしいことだった。サンフランシスコでやったラストショーの最後の最後、僕たちは「You Enjoy Myself」を演奏していて、僕らは常にこれは大事な一局だと感じていたんだ。この曲はボーカルの即興で終わるようになっていて、とても感動的だった。僕は、この17年間この事に集中していたんだと思うだけで、巨大な波のようなものを感じた。圧倒的な感情だった。僕たちはバックステージに戻って、そこで何時間もただ座り込んでいた。

RS: 僕たちはいつも、メンバー間で会話がなかったり、ギグが終わったとたんそれぞれ勝手に散っていくようなバンドの話を耳にするよね。

TA: 分からないな。そんなんじゃ決してなかったよ。だってさ、バンド練習では・・・僕はバンド練習の事を繰り返し持ち出すけど、しかしあれはPhishの偉大な遺産とも言うべきものだと思っているんだ。Phishについてもっとも思い出深いのはバンドの練習だった。あれは凄かった。僕らは練習用の部屋に入るとまず一曲演奏して、それから会話を始めた。話し合って、話し合って、さらに話し合った。それがいつもとても楽しみだった。分かる?それはあたかも僕らの人生の全てが開いていくようで、僕たちにはこの小さなオアシスがあって。そんな感じだったな。いろんな出来事が起こっていた。振り返ってみると、マジでいろんな出来事があった。分かるだろ、その多くが個人的な事だよ。子供や結婚、離婚、家、母親や両親の死。な?人生は止まってはくれない。だけど、この小さな、決して変わらないものが僕たちにはあった。あれは完全に安全な避難場所だったな。そこにはお互いを完全に理解してくれる人々がいた。名声、そして名声にくっついてやってくるもの、基本的にはチップ目当てのタクシーの運ちゃんから金持ちに変身すること・・・僕はいつもモダン・ジャズ・カルテットが気になるんだ。彼らは35年かそこら一緒にやった。僕にとって、これからどうなるかは分からない。僕は信じられないような事が起こって、僕はその一部である事に幸運であると感じる、と同時に今本当に幸せでもあるんだ。クリエイティブな面では今がとても幸せだけど、ここ数年間はちょっと困難だった。あのころは戦場にいるようなものだった。

RS: 君の娘達は君がバンドをやっている事についてはどう感じていると思う?

TA: 彼女たちは、僕がバンドをやっている事は知らないよ。両方とも僕がミュージシャンであることは知っているけどね。

RS: 彼女たちは状況が変わった事、家のまわりの雰囲気が違っている事に気がついているのかな?

TA: そんな事はない。だって家のまわりでは違っている事なんてないもの。ミュージシャン達は毎日僕の家に来ている、僕の地下室に。娘達は入ってきて、ほかの連中がレコーディングしている間、僕の膝の上に座ったりしている。実際、彼女たちは僕のもう一つのバンドのメンバーと結構親しくしているよ。ここなんだよ、もう一つの点は。僕はPhishで経験した事を、今別のところで経験している。つい先日、オイスターヘッドのミックスをしているときだった。僕は妻に話していたんだ。突然、僕はバンドにいるんだっていう気持ちに襲われた、って。それまでは、僕はこのクールなプロジェクトをやっている、このクールなプロジェクトをやっている、だったんだ。それから僕たちはこのオイスターヘッドのアルバムに真剣に取り組んでいる最中に、Phishの時と同じような気持ちになった。僕はこのバンドのメンバーと本当に親密になったんだ、と。それはまさしく、「オーマイゴッド、僕は別のバンドにいるんだ」みたいなさ。素晴らしいフィーリングだったね。そしてこれはまたいつか再び起こりうる事なんだ。

(訳by wolf)

 

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