「チーズのエッセンスを表現したい」
インタビューwithビル・ナーシ

ディーン・バドニック
05.21.2001

新譜、Outside Insideでストリング・チーズ・インシデントはもう一つのメディアムを克服したようだ。昨年発表されたダブルライブアルバムCarnival 99でも証明されたように、彼等はライブ環境でその力を発揮する。しかし、今までの彼等のスタジオ作品は元来の活気に満ちたスピリットや向上してやまない作曲力などをショーケースとして見せつける手段としては失敗に終わっていた。あのLos Lobosのスティーブ・バーリンのプロデュースによる新作はこの二点両方において成功だったと言える。

ストリング・チーズ・インシデントのバイタリティーはその集合的な音楽のセンスの良さが起因となっているが、アコースティックギタリストのビル・ナーシはその中でも重要な役割をこなすメンバーだ。ナーシは爽やかで軽快なピッキング、生き生きとした作風のオリジナル曲、すがすがしいユーモアなどでバンドのサウンドを定義するのに貢献してきた。このインタビューで彼は、この新譜やバンドの人気の急激な上昇、そして彼の受けた影響やインスピレーションに触れる。グループの情報はwww.stringcheeseincident.comで。

ディーン・バドニック(DB): Outside Insideについて話す前に、ミュージシャンとしての君の成長から聞きたいんだけど。パフォーマンスと作曲両方の面で一番最初のヒーローは誰だった?

ビル・ナーシ(BN): 始めのうちはアコースティックよりもエレクトリックギターのプレーヤー達に夢中になったね。15歳の時、ギターレッスンを8回受けた。それが生涯で最後のレッスンだったんだけど。その頃ディッキー・ベッツやトーイ・カルドウェル(マーシャル・タッカー・バンド)、ヘンドリックス、クラプトン、それにサザンロックやブルースをたくさん聴いたな。

DB: アコースティックに移行して行ったのはいつ?

BN: 実際はアコースティックでソングブックにあった歌を歌って育ったんだ。僕には四人の兄と姉が一人いてみんなギターを弾いたし母はピアノを弾いた。だから僕はギターをかき鳴らして古いソングブックからいろいろ拾ったんだ。14か15歳の頃、両親にエレクトリックギターを買ってもらって、初めてそれを弾き始めた。高校三年の時、一番年上の兄貴と同居するようになったんだけど、彼はブルーグラスを聴くのが好きだった。僕も一緒に聴き始めたんだ。主に50年代、60年代のやつ。スタンレー・ブラザーズ、レノ・アンド・スマイリー、ビル・モンローとかね。でもフィドルの曲はやんなかったな。僕はフラットピッカーではなくて、ただ兄貴の弾くバンジョーに合わせてコードを弾いていただけなんだ。あの頃は作曲なんかしなかったな。曲作りは19の時にコロラド州へ引っ越してから。この頃になると僕はアコースティックギターを集中的に弾いていて、曲もちょっと書いた。ジャック・ラジカという親友にであったのはこの頃で、彼もギターを弾いた。最初のフラットピッキングの曲を教えてくれたのも彼だった。その時ピッキングの練習を始めたんだ。仲間を大勢集めてブルーグラスバンドを作り、演奏した。といってもバーかなんかで一回ギグするようなもんだったけどね。81年から90年までテリュライドに住んでいた時はずっと誰でもいいからデュエットかトリオを編成してスキー場の周りで演奏した。

DB: その時はコロラド州でしかギグしなかったの?

BN: いや、基本的に僕はテリュライドに住んでいてスキーをしていただけだ。毎年シーズンパスは必ず持っていて、十分生活できる位レストランでコックをしながら音楽をやっていた。

DB: テリュライドにその頃住んでいたんだったらデッドが何の前触れも無しにタウンパークで87年の夏にやったあの有名なショーも観ただろう?

BN: いや、観なかった。僕はあの美しい[皮肉]アリゾナ州フェニックスにいて学校でグラフィック・アートをしていたんでデッドが演奏した時はテリュライドにはいなかったんだ。実際、その時点ではまだデッドを観た事はなかった。僕がデッドを観たのは92年で、その3つのショーだけが僕のデッド体験だ。ピッキングを教えてくれた友達のジャックが僕を人質同然にしてショーに引きずり込んだんだ。

DB: その時の印象はどんなものだった?[エディターノート:ちなみにナーシが観たのは1992年2月22−24日にオークランド・コロシアムで行われたデッドのショーだ。]

BN: グレイトフル・デッドを観に行くまではかなり疑いを持っていた事は確かだね。だからジャックが強引だったんだ。デッドのテープはそれまでにも聴いていて、彼等の全体像がテープには反映されていない事もあってか少々ずさんなところもあると思っていた。初日はまあまあというところ。でも二日目は驚異的だった。バンドのコミュニティーが発する雰囲気とバイブレーションが全体的な環境を創りあげていて、デッドというものが何なのかが分かった。三日のうち音楽的に素晴らしかったのは一日だけだったけど、それが超特別で、ファン達が見出しているその音楽の中に繰り返し観に来ようとさせる何かを理解することができた。

DB: コミュニティーに関しては君のバンドとグレイトフル・デッドを多くの人が比較するのは君も知っているだろう。この比較をどう受け取っている?

BN: バンドが進化した過程については理解できるよ。僕らは、レコード会社との話をまとめ、契約して、発表したアルバムを宣伝するためにツアーをやって、ラジオのヒットを狙うというタイプのマネージャを探した事が無い。多くのバンドがそっちに行ってしまう。数あるバンドの少なくとも半分にとってはそれがバンドとして業績を上げる手段だ。僕たちはそれよりももっとグラスルーツ的で、デッドやあるいはフィッシュのようにたくさんショーをやって本当に面白い、ポジティブなステージ繰り広げる事で多くのファンを増やそうとしている。バラエティーに富んだ音楽を演奏して三日間でいろいろ違った曲のセレクションを聴いてもらう事が出来るように勤めている。だから手法としては似ている所が多い事は確かだと思う。音楽自体に関しても似ているところはあるね。バンドの何人かはブルーグラスにルーツを置いているし、ジェリーがそうだった。ブルーグラスは僕の作曲に大きな影響を与えてくれたと思うし、このバンドは確かにそれを反映している。だからその比較についてはすごく分かるよ。ただ、僕が望むのは僕たちが音楽的にやっている事は僕たちだけのユニークなものであって欲しいという事。もちろん影響というものはあるだろうが、ファン達が僕らをユニークなサウンドを持つバンドとして受け取って欲しい。

DB: 君のブルーグラスのルーツについて話そう。君のハードコアなブルーグラスの仲間達は、君がパーカッショニストと演奏しようと決めた時、どんな風に感じただろうね?

BN: 僕たちは自分達をブルーグラスバンドだと考えた事は絶対にないよ。誰かが僕らをそう呼んだだけ。トラビスがハンド・ドラムスを叩き始めた時、リズムを持つ事には完全な意味があったし、僕らはケツを蹴られたような気がしたな。僕らは、ブルーグラスミュージックにパーカッションがあるのは正しいかについては全く考えもしなかった。だって僕らは僕ら自身の音楽に「出かけて行って楽しむ音楽」ということ以外はラベルを貼ろうとは一切しなかったからね。バンドの中では多分キースと僕が一番ブルーグラスの影響を受けているし、二人とも他のいろんな音楽を聴いた。だからブルーグラスを愛する一方で、その味を生かしながらトラビスが演奏するパーカッション、その後はドラムキットという違った状況で演奏したんだ。

DB: 君はアコースティックを演奏しているわけだけど、大きな会場の場合君の音をミックスでクリアーに保つのはチャレンジング?

BN: いい音を保つために僕が使えそうな機材についてはかなり研究したよ。ラックのアップグレードもしたし、ハイエンドのDIをいくつかとEQ、それに凄くいいパワーアンプもゲットした。今フィードバックの問題はないね。僕のサウンドは今までで最高に強力だし、同時に今までになく俺のマーチンの音、俺のギターの音が出ている。僕らのサウンドマン、ジョン[オ’レアリー]にとっては、バンドの中でも僕のサウンドを決めるのが一番簡単みたいだし。でっかい野外会場にこの音を持ち込む準備は出来たし、その時は強力でクリアーな音になるだろうね。

DB: エレクトリックを演奏しようという気にはならない?去年の夏にニューポート・フォーク・フェスティバル[ボブ・ディランがエレキを弾いた35周年を記念したもの]みたいに?

BN: 分からないな。あの時は無茶苦茶やっただけだから。またやるかどうかは疑わしいよ。テリュライドの友達リザ・オックスナードと僕のワイフのジルと三人でレーコディンクをしたばかりなんだけど、そこでは僕はアコースティックとエレクトリックを半分ずつ弾いた。ストリング・チーズに関しては、エレクトリックを演奏するにはかなり抵抗がある。なぜかって言うと、アコースティックギターはこのバンドで残されたルーツの影響を持つ最後の要素の一つだから。もし僕がエレクトリックをやって、マイクもエレクトリック、さらにカイルがキーボード。最終的には他のバンドの世界に入ってしまってユニークさに欠けてしまう。僕はリード・エレクトリック・マンドリンがあってそこに僕のアコースティックがあるという設定が好きだな。それが僕らをユニークにさせている要素の一つだし、違う事をやろうとする事が全てなんだ。アコースティックを演奏するのは楽しいし、バンドの音について行けるだけの音量も出せるんだから、これでやっていくのは全く問題はない。エレクトリックは他のプロジェクトで使うかもしれないが、ストリング・チーズではやらないと思う。

DB: スタジオは実験的な環境を提供するけれど、Outside Insideのレコーディング中に何か他の楽器は弾いた?

BN: 弾かなかった。でも、中の一曲で僕のアコースティックを50年代のギブソンのアンプに通して思いっきり音量を上げたら凄くノリのいいディストーションがかかって使えたよ。とてもクールだった。Singing a New Songという曲に入っている。

DB: 新しいアルバムについてもっと話そう。バンドの外からプロデューサをもってきたのはどんな動機からなんだろう?

BN: 工程をより早くするためだ。僕らはとても民主主義的なバンドで、スタジオの中ではそれぞれの曲に関して多くの決断をする。いつ何をやるか、どんな音が合うか、とかね。我々5人でいちいち投票で決めていたらレコーディングを終えるのに数年かかってしまう。そこでプロデューサを入れてレコーディングを助けてもらい、細々した事での口論を最小限にとどめるようにしてもらった。

DB: Outside Insideは以前のスタジオディスクに比べて確かに分厚い音だけど、それは君たちが意識してスタジオに入ったのか、それともスティーブ・バーリンの腕に拠るものなんだろうか?

BN: それはスティーブ・バーリンが創り上げたものだと僕は思っている。彼の方法は全てアナログ、2インチテープによるもので、さらに早いうちに録ったテイクを使えと言った。それに僕らが再録しようかと感じたいろんなものを思いとどまらせたな。その結果、このアルバムは以前のものよりもずっとパンチが効いていてライブに近い音が出ていると思う。

DB: 録音についてだけど、君たちはアナログテープを使ったの?それともアナログで録ってPro Toolsでデジタル編集したとか?

BN: 多少はテープを切って編集したところもあるよ。ほとんどの部分は触らなかったけどね。僕らにはデイブ・マクネアーっていう凄いエンジニアがいるんだが、彼がカッターを持ち出して2インチテープを切ったり裁いたりするのをPro ToolsならぬBro Toolsと言っていた。だから僕らはBro Toolsを使ったわけだ。

DB: すでにオリジナルからライブ環境を経て進化してしまった曲なんかをアレンジするのは難しかった?

BN: うん、それはちょっとトリッキーだった。その点もスティーブを呼んだ理由の一つだね。彼は僕らの曲のライブバージョンをかなり聴き込んだ上でアイディアを提供してくれた。例えば、このコーラスは曲のもうちょっと中の方で入れようとか、この曲のこの部分は本当にこの曲にインパクトを与えるだろうか、とかね。彼はいいアイディアをたくさん持ってきて、僕らはそのうちのいくつかを実際に使ったけど、使わなかったのもある。最終的にはみんなに満足のいくアレンジが出来たと思う。僕らはそれぞれの曲のエッセンスを抽出するのに焦点を当てた。メロディーとボーカルがこのレコードの大きな鍵だね。すぐ前のアルバムがダブル・ライブ盤だったから、ジャミングよりも作曲にフォーカスするのに勤めたんだけど、これは僕らにとっては目新しい事だったし、興味深い事だったよ。ファンに向かって僕らは歌が歌えていい作風感覚を持っているんだと証明したかったんだな。

DB: 録音後、ライブ活動に戻ってから、このアルバムで使った新しいアレンジはキープした?

BN: いくつかはね。使っていないものもあるよ。ライブは全く違っているからね。ライブのセッティングではより広いジャムのスペースがあるじゃない?たとえば、Close Your Eyesでスティーブはもっとコーラスがあった方がいいと言っていて、現に今はライブで前よりもコーラスを入れている。Searchでは歌詞の間の部分いくつかを取りさらって、歌詞のフローがスムーズになるようにした。どちらかと言うとフリーフォームの部分を切るよりはアレンジのアイディアをキープした場合の方が多い。フリーフォームのジャムのところはライブの時にまた入れてしまえばいいだけだから。

DB: 前のアルバムよりバンドの全体が表現されているように思うんだけど、その辺に何か工程というようなものはあったの?

BN: 僕らがいいと感じている曲16曲をスタジオで演奏して、どれがいいか、うまく行かないかを試してみたんだ。もちろん、スティーブや友人達、マネージャと相談したよ。バンドのメンバー全員のオリジナル曲を入れるという事も考えた。トラビスは作曲はしていないけど、アレンジには非常に熱心だ。それにライブでもスタジオでもみんながそれぞれ表現できる機会を持つようにしている。みんなの作曲力が今とても強力になってきているから、僕らは以上にいい状況にいると言える。全員が曲を書けばどんなに酷い曲でも良いというわけじゃないけど(笑)。僕らには凄くいい材料がたくさんあるからこのアルバムにみんなが参加するのは容易だったよ。

DB: 君自身のソングライターとしての進化についてはどう思う?

BN: もっとやる必要があるね。暫くやってないと感覚がズレてしまう。僕の頭の中、僕の中に表現されるべきものがいろいろあって、その場が与えられないと澱んでしまうんだ。だからどう進化したかは分からないがこれからも続けるよ。僕は作曲という経験そのもののために書いている。それは僕という人間が僕の表現を多くの人々の前に出して、反応がどんなものかに興味があるからだ。

(訳 by wolf)

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